大学時代、外見至上主義のキャンパスをなんとか生き延びていた私だったけど、念願叶ってアメリカに留学することになった。
内向的で、抜毛症まで抱えている私が挑戦した留学。
息苦しさを日本のせいにして、飛び出した。
逃げて逃げて逃げた先のNYで見つけたもの。
大学時代に、ぺしゃんこになりそうな私の心を支えてくれたのは、底抜けに明るいアメリカンカルチャーだった。
アメリカのドラマや映画が大好きで、見てはパワーを貰っていた。
外見にとらわれない、どんな特徴があっても私は美しい。そう言い切る文化が大好きだった。
そんな世界に近づきたくて英語のスピーキングもたくさん練習したし、ZARAやH&Mなどの海外ブランドにあしげく通った。
高校生のときからいつか留学したいと思っていたけど、ここで行かなくては今後チャンスはなくなってしまう!
そう思って、大学4年次に両親に頭を下げまくって一年間アメリカで生活させてもらった。
(ここでもいろんなことを経験したんだけど、べつのカテゴリになので割愛)
大学の提携する留学先もあったけど、それだと勉強漬けの寮生活が待っているのは明白だった。それに多くの州では車がないとなかなか出かけられないとも聞く。
私がしたかったのは勉強ではなく、異国での生活だった。食べて、踊って、恋もしてみたい。
映画みたいに、わくわくする生活を。
(ちなみにもちろん私の頭の中にあったのはこれ。)
そう思って、留学先を自由に選べる私費留学を選んだ。経済的な学費のコミカレを選んで、自分で住居も探した。
一つ一つ自分で決められるオーダーメイドの留学方法は最高だったけど、その代償もそれなりにあった。
学校提携の留学だと何人かまとまって渡航するから、多少なりとも人間関係や大学からのサポートがある。
私は完全に一人だった。何をするのも、どこに行くのも。
遅ればせながら、自由は寂しいものなんだと気がついたのもこのとき。
どこのコミュニティーにも属さなかった私は、渡航して3ヶ月もするころにはすっかり落ち込んでいた。
曲がりなりにも日本の大学で培ってきた人間関係をまるごと置いてきてしまうなんて、なんてばかなことをしたんだろう、と。
恋人もいないし、たまたま住み合わせただけのルームメイトとは何日も顔をあわせないこともある。
外は猛烈に寒くて雪ががんがん降っていて、遊びに行こうにも物価が鬼のように高い。
気晴らしのショッピングにもでかけにくい。
家から一番近くの店、バスキンロビンスの店内に居座り、雪の降る窓の外を眺めながら不意に、宇宙のような孤独感を感じた。
オブリビオンという言葉はこういう意味か、としみじみ実感した。
抜毛もこの頃はかなりひどかった。
大学の課題もそれなりにあり、しゃべる相手も特におらず、楽しいことがほとんどなくて。
毎日貯金の心配をしていた。一ヶ月に使えるお金をいつも気にしていたことを覚えている。
渡航して5ヶ月ほど経った頃から状況は好転する。転校して、友達が一気に増え、インターン先も見つけ、自分の片割れかと思える親友もできて、毎日が忙しく、充実するようになった。
無給のインターンだったから、経済的には余裕がないままだったけど、それでも楽しかった。
抜毛はかなりなりを潜めていた。
人とたくさん話して、仕事で難しいタスクにも挑んでいるうちに、少しずつ自信が芽生え始めた。
それも日本にいたときには感じたことのない種類のもの。
たとえばそれは
・いつも堂々としていること。 (ハリボテの自信でもないよりはまし)
・人には親切に
・おかしいと思ったらそれを表明すること
・自分はセクシーであると思うこと
どれも100%にはほど遠かったけど、そういうふうに自分自身のことを感じていた。
日本社会と切り離されて、いままで自分がいかに周りの環境によって作られてきたかを思い知った。
振る舞いも人間関係もマナーもここでは自由で、自分次第だった。
天使にも悪魔にもなれる街。
決断を繰り返す中で、少し自分が強くなった気がした。
留学は最初から1年間と決めていて、予算もぴったりそれ分しかなかった。
アルバイトをしながらでもそこに残ることはできたけど、就職活動もあったし、この留学で培った自分なら大丈夫という気持ちもあったので、後ろ髪を引かれながらも日本に帰国した。
留学生活で大きな自信を得た一方で、生活が充実したあとも抜毛症が完全に治まることはなかった。
息苦しい日本から逃げ出してきたけど、日本を出たらすべてが解決するわけではない。
逃げて逃げて逃げた先で、そう悟った。
息苦しさの根本は、住んでいる場所じゃなくて私の中に根付いたなにかにある。
絶望して帰ってきたわけじゃない。
このタイミングで海外生活を体験できてとてもよかったと思ってる。
行っていなかったらきっと、今もずっと「日本さえ出られれば」って思って、海外逃亡ばかり考えているはずだから。