華僑の人々について、長い間不思議な感じがしていた。
彼らは家族の繋がりをとても重要視する一方で、かなりの人々が故郷をあとにして世界中に移住している。
アメリカにいる中華系の移民の人たちについても、留学中にあまり良く理解できる機会はなかった。
価値観は私たち日本人と、欧米の人たちと比べたら似ているような気がするし、それなのに行動規範はまったく違う感じがする。
私の長年の疑問は、この映画を見て、ちょっとだけ近づいた気がする。
オークワフィナ演じるビリーは30歳で、無職で、結婚もしていない。両親と共に幼い頃にアメリカへ移住してきた。だから中国語は読み書きできない。
ある日、大好きな祖母がガンに罹っていると知るが、家族は本人には告げないと決める。
これは映画内では中国ではよくある話だと言っていた。告げないことで死への恐怖の感情を、本人ではなく家族が負担するのだと。
この祖母は、家族、メンツをなによりも大切にし、自分自身も家族から十分に尊重されることを望む。
毎日気功のような発声運動をし、子や孫の世話を欠かさず、口酸っぱく私生活へのアドバイスをする。
こういうのって、ザ・この年代の中国人って感じ。わかるわかる。
で、この祖母には二人の息子がいるが、一人は日本へ、もう一人はアメリカにそれぞれ移住してしまっている。
(そして移民2世にあたる孫たちは、中国語を完璧にはもうしゃべれない。)
この祖母を喜ばそうとして嘘の結婚式に家族全員が集まったとき、彼女はとても喜ぶ。
この間のことは略してしまうけど、ビリーは結婚式のあとも祖母のもとに残りたいといい、大家族を離れて両親と3人でアメリカに移住した彼女の幼少期からの思いが告白される。
少数単位で移民することは、連れていけない家族を置いていくことだ。
大きな単位の家族から切り離されて、子供であれば第一言語までもが変わってしまう。
それって、アイデンティティがすごく揺らぐことなんじゃないかと想像する。
そうだとすれば、移民で成り立ったアメリカは、家族や文化・言語、土地から切り離された痛みを抱えている人々の国なのかもしれない。
ビリーはもうほんとにいい年した大人だけど、まだまだ元気な両親と並んで座っているとほんの子供に見える。(安定仕事についてないっていうのも所在なさげな一因もするけど。)
でもこについては人のこと言えないや。笑
アメリカでアジア系を指すスラングとして、
・ABC =American born Chinese (アメリカ生まれの中国人)
・Banana =外見は黄色(アジア人)だが中身は白い(白人)
といった表現が一般に浸透している。特にBananaなんて、カルチャーギャップを象徴する言葉だ。
先日ツイートしたけど、最近中華系アメリカ人の作品が際立っている気がする。
移民の葛藤や古い文化との対立が時代ごとによく描かれていて、少しずつ変化しつつあるのが分かる。
中華系の物語が多い一方で、日系ってほとんど聞かない。韓国系はNETFLIXの『ソウルへGO!』や『好きだった君へのラブレター』とかでもよく見かける。
日系のプレゼンスは低い。そういえばNYでも、チャイナタウンは4つぐらいあったし、K-Town (韓国街)もあったのに、日本人街といえる区画はなかったな。
なんでなんだろうか。
アジア系とひとくくりにされがちだけど、ルーツにある文化が違えば抱える問題も違う。
いつか日系人の物語に出会える日を、楽しみにしている。