『贋札王 プロジェクト・グーテンベルグ』
プロット解説の投稿でも書いた通り、ほんとに複雑な話でした。
でもそれをほんとに上手に映像にしているな、と観終わったあと思わず至福のため息。
ここではその演出手法をまとめてみたいと思います。
【画面に映るものが真実ではない】
建物の爆発
●序盤、タイの刑務所から香港に輸送されたレイマンが、警察署内で取り調べを受ける。
「ここにいることが画家に知られたら、大勢が死ぬことになる」と怯えた様子で言った瞬間、建物が爆破される映像が流れる。
観客は「おお、早くも、、、」と思うが、ホー警部補の「そんなわけないでしょ。続けて」みたいな冷静なセリフで、爆破された建物が逆再生でもとにもどっていく。
観客は映像に騙されるが、画面に映るものが決して真実ではない、という警告(ヒント、暗示)でもあった。
実体を持つ画家
●80年代のカナダ時代で、すでに「画家」が実際の人物として登場する。
この時点で観客はその存在を信じるが(著名な人気俳優チョウ・ユンファの復帰作として散々頭に刷り込まれていることもあり)、実際はそのような人物は存在しなかった。
スクリーンで観たものの存在を疑わない観客の心理を裏切るテクニック。
※米「ユージュアル・サスペクツ」では、黒幕は姿を現すことはなかったが、今作では堂々と姿を現している。この点がバージョンアップという感じで、とても面白かった。
理想の人物すぎる「画家」
観終わったあとから思えば、人物の描かれ方にもヒントが満載でした。
映画を観るとき、多少胡散臭くてもこれが作品内の世界観なのだろうと見逃すことがよくある。けど、それが伏線になっている場合もあり、今回はまさにそのケース
レイ・マンの供述で描写される画家は、種明かし後にはレイ・マンにとってとても都合がいい人物になっていることがわかります。
- ユン・マンとの関係を一貫して力強く後押ししてくれる点 (彼女を諦めることは自分を諦めることだ!」)
- 「画家」というコードネーム (彼が絵を描かないことからすれば変だけど、それは贋作しか描けないレイ・マンが憧れを込めて付けた名前だといえると思う。)
いいヤツすぎるレイ・マン
自分をよく見せるために都合よく供述しているので当然だけど、ネタバレを知らなくても映画序盤でレイ・マンいいやつ過ぎる説はちょっと思い浮かぶと思う。
- 殺人を頑なに拒否する
- 自分は撃たないけど何故か銃撃の最前線に放り込まれても死なない
- NASAのインクとか見つけてきちゃうしそのお返しにタイの別荘とかもらえ
- 、画家に粛清された仲間をめっちゃ庇う、などなど。
何重ものレイヤーの奥に真実を隠す
もうね、観ながら何回裏切られたらいいわけ!?と思ってました。
観客泣かせの二転三転するストーリー。でもついて行けたらこんなに面白い娯楽ってない!!
この作品では、
- 一回めの供述 =レイマンの脳内妄想
- 二回めの回想 =客観的な事実
- 最後のオチ =真実
と大きく三つの波が来る。
特に最後の「真実」:ユンマンとレイマンは恋人ではなかった、という事実は、物語の根幹を揺るがしてしまいます。
すべて恋人のためにと頑張り、彼女が婚約後も執着していたのに。
一体何を観せられたのだろう。2時間鑑賞して、煙に巻かれたような気分になる、なかなか知的な経験をしたような気分です。
おまけですが、ちょっと蛇足っぽいシーンもありましたね!
最後のクルーザー爆破のシーンは要らなかったんではないか、という思いが拭いきれない、、、
有識者によると、中国の検閲では悪人は必ず掴まらなければならないという規制があるため、対策として追加されたシーンなのかもしれない。とのことでした!