日常で感じたこと

Netflixで見つけた我が家

最近、何年かぶりにNetflixに戻ってきた。
そして子供のころ見ていたフルハウスに再会した。その続編のフラーハウスにも。

©Lorimar Television

 

フルハウスは1987年〜1995年までアメリカで放送されたファミリードラマで、私が子供のころNHKでも放送していた。その頃のわたしにとって一番身近なアメリカ文化だった。

妻に先立たれたダニーは、三人の娘を一人で育てていくことになる。そこに助っ人として現れたのが親友ジョーイと義弟ジェシー。住み込んで男三人の子育てが始まる。

ユーモアと80年代のアメリカ文化を詰め込んで、このドラマは世界的な大人気となった。

 

続編のフラーハウスは、前作の放送終了から20年近く経って、撮影が開始された。

今回は三姉妹の長女、DJが夫を失い、三兄弟を抱えたシングルマザーになったところから物語は始まる。

©Netflix

次女のステフ、親友のキミー・ギブラー、ギブラー家の人々などを巻き込んだにぎやかなファミリードラマの第二幕が上がる。

 

フラーハウスをみながら、フルハウスを見ていた自分の子供時代を鮮やかな感覚を伴って思い出した。

 

小さなリビング、そこに敷かれた緑と赤の絨毯、すみっこに置かれた小さな分厚いテレビ。

確かフルハウスは6時半か7時から放送されていて、見終わったころにちょうどうちではご飯の時間だった。

 

妹と膝を抱えて見ていたっけ。私は登場人物たちを、身の回りの80年代の雰囲気を持つ人々に重ねていた。

DJの逆毛を立てたボリューミーな髪型は、写真で見た母の親友とそっくりだったし、キミーの細身さとちゃきちゃきした喋り方は母の姉にそっくりだと思っていた。

 

懐かしい、幸せな時間。

あれから長い時間を経て、フラーハウスを見れてとても嬉しい。

サンフランシスコのあの素敵な家がまだあることも、本当に嬉しく思う。

まるでとっくになくなった実家が、実はまだ存在した、そんな気分。
インテリアや賑やかな雰囲気はそのままで。

 

 

ドラマの内容は現代風にアップデートされている。

フルハウスではありえなかったシモネタが解禁されているし、スマホがどこにでも登場する。

でも、あの雰囲気だけは変わらない。

 

 

20年の歳月は、皆に何をもたらしただろう。

 

DJとキミーは全然変わらない。立派な、明るい中年として肝っ玉母ちゃん役を演じている。

 

対照的にステファニーは、口調や顔立ちはそのままでも、あの輝くようないたずらっぽい笑顔と、身軽な身のこなし、生命力を少し減らしてしまったように思える。

 

それでも精一杯演じているようにみえる。
(観客の一人にすぎない私の思い込みだったらいいと思う、ほんとうに)

 

家族によって守られていた幸せな子供時代の終わり、その後に続く時間は自分自身や運次第というところがある。

彼女はなにを得て、なにを失ったんだろう。小さなステフのままではいられなかった。

でもきっと、大人になるってこういうこと。

 

今の少し影のあるステフを、私はとても好きだ。

明るいアメリカンカルチャーのど真ん中、レンズの前で、少しだけ無理をしているようにも見える。

 

だからドラマの中で彼女に赤ちゃんができたとき、なんだか胸がいっぱいになってしまって、私は思わず泣いてしまった。

 

よかったね、ステフ。これからのあなたの人生が素敵なものでありますように。

 

私のアメリカの実家、幸せな家族像に楽しい続きがあって嬉しい。

 

いつかフラーハウスのこともこんなふうに思い出すときが来るんだろうか。