日常で感じたこと

ゴールデン街の泡になる

先日私にしては珍しく、友人と解散したあとなんだか遊び足りなかったもんで、その足で久しぶりにゴールデン街に向かった。

コロナが猛威を奮っていた中、ゴールデン街や新宿2丁目といった東京ならではの場所はいったいどうしていたんだろう。

 

そんなに常連というわけでもないけれど、どちらも学生時代からちょこちょこお世話になった場所だ。

この2つって都会を象徴するような場所だと思う。これだけの人口が集まっているからこそ、マジョリティ以外の属性の人口もある程度まとまっていて、それがあの街を作っている。

 

わかりやすい属性は持たない私だったけれど、ずっと息苦しさは抱えていて、それがこういう場所では息が楽になる。自分であることをいつもより少しだけ許される。時々訪れては息を吸った。

 

この日、ゴールデン街のほうを選んだのは、2丁目には最近行ったからだった。

その時は渋谷→恵比寿→2丁目へ流れたのだけど、緊急事態宣言が明けてお酒が解禁になったにも関わらずイマイチな盛り上がりだった恵比寿と、それと比べ物にならないほど盛り上がっていたのが2丁目だった。

その活気に安堵したので、今回はゴールデン街に様子を見に行くことにした。

 

ゴールデン街ではいつもどの店に入ろうか迷う。
この場所では、店に居合わせた他の客と楽しく話すのがマナーな気がしている。少なくともそのつもりでいることが。

だから二人きりで親密に話したいときには向いていない。大人数で行くことも。
そういう前提であるので、店選びはすごく大事。楽しくおしゃべりができそうな店、客入りであるかどうか。

 

私たちは勘を働かせながら、細い通りを慎重に歩く。
小汚いとしか言いようがない通りには、これまた小汚いとしか言えない店が上下左右にみっちりと並んでいる。

この何もかもきれいな新品を求める時代に、この雰囲気を保ち続けているのは品位があることだと思う。

 

私たちは小さな窓や、扉の隙間から店の様子をうかがい知ろうとする。扉を開け放っている店は何気ないフリで覗く。

誰も客が入っておらず、店子が一人でいる店では百発百中で目が合う。こっそり見たのに!客引きの声はかけられない。

 

私はいつも

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている

という古い言葉を思い起こしてしまう。

 

なんとなく、ゴールデン街には底知れないところがあって、あまり深入りしてはいけないのだという予感がしている。

歌舞伎町のきらびやかな猥雑さよりも、私はこちらのほうが怖かったりする。

 

その晩は初めての店にはいった。お客さんは2人、男性の店子と、カウンターに座っていたおばちゃんがママらしかった。

私たちが入ると店はぱんぱんだった。こうなると不思議なもので、道行く人が次々「空いてる?」と覗いていく。みんないい店の目印を探してるのだ。

 

連れは右隣の人と話し始め、私は左に話しかける。そこにいたのは同世代の男の子で、癖のなく話し好きな男の子だった。

 

バーテンと仲が良いらしく、お揃いの見たことのない赤い包の煙草を吸っていた。

 

仕事で頑張っていること、仕事先の人たちに可愛がられていること、でも転職したいこと、ずっと好きな人がいること。

私はリアルな恋バナに飢えていたので、「もっとよく聞かせてその話」と食いついた。

 

詳細は書けないけど、それは私たちの世代っぽい微妙な距離感に左右され、ピュアでちょっと切なくて、もうひと押しって感じの美味しい話だった。

私も過去の恋バナを引っ張り出しつつ、絶対うまく行くといいねって励ましたり、デートで使えそうな美味しい韓国料理屋の情報を交換し合ったりして、とても楽しいときを過ごした。

その子は私より少し年下で、人好きのする彼の背後に犬のしっぽが見えるようだった。

 

横を向けばすぐにその子の顔があるみたいな近さで、でもお酒も回っているし、みんなやたら大きい声でしゃべって、笑った。

 

その間、バーテンはあまり話には入ってこず、彼のおごりでグラスを重ねていた。
もらうよ?みたいな感じで。

 

私は結構仲良くなったと思ったので、話の流れでLINE教えてといいかけて、はらりとかわされた気がする。

いい加減いい時間になって、彼が先に会計を頼んだ。狭い店の真隣だったので彼の会計が諭吉で収まらない額だったのは聞こえて少し驚く。

 

じゃあねって軽く言い合って、彼は出ていった。席をみたママが、あの子忘れ物してるって慌てる。
あ、私が追いかけますよと言って、店の外へ出た。


「◯◯〜!!」 知ったばかりの、そして長くは覚えてるつもりはない名前を大きな声で呼ぶ。

でもなかなか忘れられないかもな。彼の名前は親が古い小説からとったさっき聞いたばかりで、それはとても素敵なエピソードとしてきちんと聞いてしまったから。

何度か呼びながら歩いていくと、狭い通りを彼が俺?って顔をしながら戻ってきた。

 

忘れ物、と手渡そうとして目を合わせた彼は、さっきと違う顔だった。
蛍光灯のせいかさっきまでの上気した顔色は微塵も残っていなく、友だちみたいな砕けた快活さもなかった。

もう別の場所で会ってもわからないだろうな、と思いながら手渡す。
今度こそまたねって手を振って、私は踵を返した。

 

そろそろここから帰るときだなと思った。

 

ゴールデン街で見聞きするもののうち、何割ぐらいが本当のことなんだろう。

嘘だとは思わないけど、本当のこととも思わない。

真偽不明の楽しい話でみんなで笑って、もう二度と合わない人たちとしゃべって、居酒屋で飲むよりはちょっぴり高い金額を払って帰路につく。

 

時間もお金も、人間関係すら溶けるようにしてなくなっていくこの場所は、

例えば西友の50円引きクーポンを活用したり、旬の魚を使ってなにか作ってみようと頑張ったり、毎日トイレの掃除をするんだと決意するような丁寧な暮らしとは対極にあるようで。

 

ここをホームにしているような人はどうやって心を保ってるんだろと思った。

私はときどき覗きに来て、一舐めだけするので十分だ。

 

心細い思いをした日は、帰る家があることがつくづくありがたい。

私たちは温かいベッドを目指して一目散に帰った。

 

ゴールデン街の泡になる。