抜毛症

初めてヘッドペイントを体験した日 【灯りを分け与える】

ご縁があり、クリエイティブ集団Lotus Soulさんと知り合った。

Lotus Soulを率いる彫師の彫蓮さんに貴重な機会をいただいて、ヘットペイントをしていただいた。

その時のことを私は忘れたくないなぁと思って、エッセイを書いてインスラグラムに載せた。

インスタグラムに書いた文章は、どうしてなかなかあまり読まれないので、作品と一緒にブログにも記念に載せておくね。

 


灯りを分け与える

20年近く、頭頂部の毛を抜き続けてきた。
ぷちぷちと、ほとんど毎日。

人は私の髪をみてギョッとするだろう。
私の家族はギョッとしていた。誰より私自身が一番恐怖と嫌悪を感じていた。

禿げていく恐怖を一分一秒感じながらも、自分ではどうしても身体をコントロールできなかった。
抜かないとどうにもならなかった。

自分でもなぜそんなことをしたのか、その理由は明確にはわからない。
だけど私はきっと引き裂かれていたのだと思う。

苦しくて、自分を責めて、鏡をみて絶望して。
希死念慮までを抱えて生きるようになった。

抜毛は私の最大の恥だった。
抜毛のことが誰かにバレるか、高い橋から飛び降りるかという二択に追い込まれたら、私は迷うことなく後者を選んだだろう。
誰にも、どうしても言うことができなかった。

だからこの部分を誰かに晒すなんて、想像もしたことがなかった。

彫蓮さんの職人の手が、私のむき出しの頭皮に触れる。

髪を抜き続けた私の皮膚は、分厚く発達していて、ほとんど刺激を感じない。

筆が滑る感触はわずかに感じ、そして掌の温かさをしっかりと感じた。

彫蓮さんの二階の仕事場で、静かな午後だった。
私はなんだか目を閉じたくなって、足元をうろうろしている猫ちゃんたちの三匹目にでもなったような、気持ちよく自分の身を時間にまかせる。

頭皮に柔らかな温かさだけを感じながら、彫蓮さんにインタビューで聞いたことを思い出す。

掲げている「一蓮托生」という言葉通り、彫り物をするということはその人との付き合いが一生のものになるということ。
彫られることで客は気も受け取っているんだと思う。
そこには密接さや、信頼関係も生じている。
だからこれまでに彫ったお客さんに死なれちゃうと本当に辛いんだと。

働き者の掌を通して、本当に自分の中に何かが流れ込んでくるようだった。

もう永久に髪の生えてこない部分が、その温かさをしっかりと感じていた。
私の頭皮は死んでいるようで、死んでいないのだとわかった。

本来の役目を終えた化粧品たちが、肌の上のインクとなる。
姿を変えて、目的を変えて、 捨てられるはずだったものが息を吹き返す。

どんなに傷ついても、私たちは再生することができる。

 

いつも撮影のときは、割と緊張していて身を削るようにしている気がするものなのだけれど、
この日の撮影はその真逆だった。

私はなにかを与えられたんだと思う。

自分のことを、死んでほしくないと思っている人がいる。
その人は私に触れ、その印を刻んでいる。

絵は消えてしまうけれど、せめてこの感覚だけはずっと覚えていたいと思った。

身体に描く。身体に刻む。
それは自分だけではできないことで、施術してくれた人とのつながりが自然と生まれている。
こういう価値を受け取らずにタトゥーを彫っている人がいるのなら、とてももったいないことだなぁと思ったりする。

本質的には、ボディペイントとタトゥーは変わらないのではないか。

絵を描いてもらうこと、タトゥーを入れてもらうこと。
どちらにもとても原始的な満足感がある。

いろんなものが不確かになっているこの時代だからこそ、
私たちには自分をこの世につなぎとめてくれるものを余計に必要としているんだと思う。

それが満たされて安心感を得るとき、こんな私でも自分の人生を生きている実感がある。
こういった瞬間の積み重ねによって、私たちは生かされる。


photo @hiroyukiharaphotography
Paint &Produce @horiren1st  @lotus_soul_7
Special Thanks @alopecia.style

この作品では「コスメ専門店ローズマリー」の協力で、使用済み店頭サンプルのコスメを回収し、アート用の色材として再利用(アップサイクル)しています。

Genaが彫蓮さんにその半生をインタビューさせていただきました!
とても興味深いのでぜひ読んでみてね。