アジア映画

さようなら、キム・ギドク

2020年の12月に韓国の著名な映画監督の一人、キム・ギドクが死んだ。
しかもラトビアで。コロナに感染していたらしい。

そのニュースを聞いたときまずはショックで、そして次になぜラトビア?という疑問が湧いた。
私はなんにも知らなかった。

 

キム・ギドクには大学時代の図書館のオーディオルームで出会った。
授業の隙間時間に足繁く図書館に通って映画を見ていた時期があって、そこで初めて『うつせみ』を見た。
美しくて、切なくて、心が落ち着く感じがしたことを覚えてる。

 

 

だから私は追悼のツイートをして、同じように呟いている人がいたら読みたいなと思ってTwitterを検索したけど、あまり出てこない。

韓国映画ファンは濃い人も多いのに、あれ、と肩透かしをくらった気がした。

それもそのはずっだった。

キム・ギドクは2018年を最後に韓国での活動をストップしていて、それどころか実質韓国にいられなくなって国外に拠点を移していたらしい。

 

きっかけになったのは2018年に放送されたテレビ番組「PD手帳」
この番組内で、彼は3人の映画関係の女性たちから性暴力を告発されている。

そりゃあもうびっくりしたのなんのって。彼の映画は思いっきり暴力的だけど、それはあくまで表現としてでしょ?と当然思っていたからこれまで観れていたわけで。

血みどろでぐちゃぐちゃのレイプを含む激しい暴力表現の数々が「事実に基づく」かもしれないと思った瞬間、背筋が震えた。

 

番組の内容を知りたくて検索しまくったんだけど、断片的だったり、日本語が不自然すぎたり、ソース不明な情報が多くて、なかなかまとまった情報を得られなかった。

それでもどうしても知りたくて、そうじゃないと今までの作品に対して抱いた感情とか、ずっと彼の映画を肯定していた自分への折り合いがつかない感じがして。

 

かろうじて調べられたことをまとめてみると、番組内では3人の映画関係の女性が主に証言していたみたい。

キム・ギドク 性暴力セクハラ関連の事件のまとめ

Aさん(女優)
・『メビウス』(2013年)に出演するはずだったが、撮影現場でギドクに暴力をふるわれ、予定になかったベッドシーンを強要されたため告発
・撮影期間中に、キム監督が要求した性関係に応じなかったため殴られ、撮影2日前に解雇された
・台本読み合わせ初日にキム監督がほかの女性と共に3人で性関係を持とうと言ってきた。逃げるように抜け出した後、キム監督が電話で『私を信じない俳優とは仕事はできない』と通告してきた
参照元:エンタメコリア 2018/03/07 11:22 MeToo:「キム・ギドク監督と俳優チョ・ジェヒョンから毎晩交互に性的暴行受けた」

Bさん(女優)
・カフェで会ったキム監督が「私が君の体を確認してもいいか」というような話を2時間近く行った。トイレに行くという口実で飛び出した」
参照元:エンタメコリア 2018/03/07 11:22 MeToo:「キム・ギドク監督と俳優チョ・ジェヒョンから毎晩交互に性的暴行受けた」

Cさん(女優)
・キム監督とチョ・ジェヒョンからそれぞれ性的暴行を受け、さらにはチョ・ジェヒョンのマネージャーからも性関係を要求されたと主張した。この女優は「キム監督は、撮影前から暴行しようとしていた。撮影場にある合宿場では、キム監督とチョ・ジェヒョンが毎晩交代でやって来て部屋のドアをたたき、最終的には強圧的に暴行した。別の端役の女優と性関係を持ったことを自慢げに吹聴することも多かった」と語った。その後、ある女性団体に相談したが「証拠がなければ」という言葉を聞いて挫折し、隠れて過ごしてきたという。この女優は「キム監督とチョ・ジェヒョンが賞を取ってテレビに出て、さらに勢いを増す様子を見るたび、全身が震えた」

参照元: 中央日報/中央日報日本語版 2018.08.08 07:16 在日同胞女優「チョ・ジェヒョンの性暴力被害で妊娠もできなくなった」

これらの目撃者や、身近なスタッフなどの証言もあったとのこと。

 

『家族のくに』などで知られる映画監督のヤン・ヨンヒさんが一連のまとめをTwitterで上げてくださっていて、その中では
被害者は新人女優、スタッフ、エキストラ、学生にまで及んでおり、今回の告発の内容は氷山の一角に過ぎないことが指摘されている。

泣き寝入りせざるを得なかった人もたくさんいるだろうし、余罪がほんと山程ありそう。
その容疑者は、それを認めることなく、裁かれることなく、謝ることなく死んでいった。

ちなみに共犯として名前が上がっているチョ・ジェヒョンは、キム・ギドクの古い代表作『鰐』をはじめとして、『受取人不明』『魚と寝る女』『悪い男』『メビウス』など多くの作品に出演している。

 

女性として許せない行為だと思う。
本当にキチガイじみているし、女性を自分が好きにしていいモノとして見ている。

 

強く憤ると同時に、でも私は一つ知ってることがある。
必ずしも美しいマインドを持っている人から美しい作品が出てくるわけではないってこと。

五木寛之の小説『青年は荒野を目指す』の中で、ユダヤ人の女性に全身刺青を彫らせ、その皮を剥いでランプをこしらえたような非道なナチスの将校が、世にも美しいピアノを引いたというエピソードがあるように。

 

私はキム・ギドクの映画を、よく現代の寓話のようだなと思っていた。
現実を舞台にしているようで、実際には存在しえない人物たちが、極端なことをやってのける。そこには当然のように激しい暴力が含まれる。

そして時々、不思議なぐらいすべてが美しく見える瞬間があって、私はそれを大事に切り取って記憶していた。

性暴力を振るい、女性蔑視甚だしい彼の脳が、手が生み出した作品を愛したということは、私は彼の行いのことも肯定していることになるのだろうか。

作家性と人間性、全部を総合して、白黒つけなくちゃだめなのかな?
私は一体どういうつもりでいたらいいんだろう。

 

でもやっぱり。人間性と作家性のつながりを無視することはできないよね。
彼の映画の美しさを思い出すとき、絶対に彼が冒涜した女性たちのことが頭をよぎる。

コインの表と裏みたいに、表裏一体なんだと思う。

私は美しいものを愛する人間ではあるけど、同時にフェミニストでもある。
だから看過するべきではないし、できない。

さようなら、キム・ギドク。

もし興味のある人がいたら。個人的に、美しさと女性軽視的な残酷さが一番よく見えると思う映画はこれ。