日本のミレニアル世代がアメリカの同世代について思うこと
レナ・ダナムのエッセイ、NOT THAT KIND OF GIRL(そんな女の子じゃない)(※1)を読んだ。
これまでに彼女の低予算映画『タイニーファーニチャー』や、それがもとになって作られたHBOのウェブシリーズ『GIRLS』を観たことがあったけど、このエッセイほど共感したものはない。
特に後半の内容がとても個人的で、正直で、たまらなかった。
レナ・ダナムは86年生まれ、ブルックリン出身。
学生時代から取り続けていたインディー映画が業界で評価され、20代にしてテレビドラマシリーズの監督・脚本・主演を努めたというすごい経歴の持ち主。
でもこの本を読んで、彼女って、なんだか発狂寸前、神経衰弱みたいって思って、そこにとても共感した。
小さい頃から心身症で、不安が尽きなくて、アメリカの子供らしく薬漬けになってて、カウンセリングにかかりまくってる。ちょっと怠け者だし、なにをするにもやや基準がゆるめ。意識低めっていうのかな。
注目されたい、男の子に選ばれたい、もっと食べたい、なにもしたくない。
特別な感性をわかってほしい。
ティーンのときは特に周りの多くの人が好きじゃなかったみたい。めっちゃわかる。
気難しいんだね。 私もなんだ。
そういうのって日本の世間的に言うと「こじらせ」っていわれるんだと思う。
違うんだよ、違う!とかつて(それから多分いまも)「こじらせ」に分類されていた私は思うわけ。
(そしてこの本のタイトルでもしっかり書いてあるね。)
こじらせているわけじゃないの。私はあなたが理解できないぐらい複雑なだけ!「こじらせ」なんてそんなチンケな言葉で括られてたまるかい。
I am too complicated (for you to understand)
I am not who I might look like
I am not that kind of girl
深く深く思考して、それが言動の端々に漏れ出てしまうだけ。
それを捉えてこじらせてるって、Weiredo(変人)だって決めつけるなんて失礼しちゃう。
こちとら、考える人間なのよ、と。そう言いたい。
前出の『タイニーファーニチャー』の日本配給時のキャッチコピーがまじで秀逸だった。
バスルームの壁に貼るか、タトゥーにして刻みたい。
私はめちゃくちゃしんどい時を過ごしているっていうこと、みんなに知ってもらいたいと思ってる
わかるぅぅぅぅぅ〜〜!!世界中のみんなにわかってもらいたいよね!!
この作品中でレナが演じるオーラは、子供がそのまま大人になったような人。
二十歳をゆうに過ぎても、時々親の隣で眠りたくなり、消して荒げることのできないもそもそした声でヒステリックに怒鳴り散らし、夜中に家族中を叩き起こしてI love youを伝えてまわる。
妹にはときどき好かれなくて、男受けもちっともしない。
お金もなく、根性もなく。ぜんぶひっくるめて自分を見ているようだった。
レナは決して一般的な美しさや男受け、映画の画面映えするタイプではない。
けど彼女のすごさはそれを理解した上で自分を適切に捉えられるところ。自然にカメラの前に立ってる。
僻みもせず、自虐もせず、うぬぼれもせず。とっても等身大。
彼女の才能はそこだと思った。
萎縮している感じがない。自分のすべてをさらけ出して、創作につぎ込んでいる。
生命力のかたまり。ちょっとだけ羨ましい。
NOT THAT KIND OF GIRLの冒頭にエピグラフとして、アーティストである父からの忠告が引用されていた。
「何もそんなすぐに自分の人生を糧にして、作品にぶちこまなくてもいいだろうに」
父の嘆きを横目に、娘は全力疾走中ってとこかな。
彼女は2017年に二作目の著書 Is it Evil Not to be Sure? (確信が持てないって悪いことなの?)(※2)を発表した。
日本語訳は出てないみたいだけど、英語版がダウンロードできるみたいだから読んでみようかな?
(でも、ここだけの話、彼女の文章に英語でついていくのって結構難しい。ランダムに話題が飛ぶし、突拍子もない表現も多いから。)
I love you so much, Lena!!
──────────────────────────────
※1 NOT THAT KIND OF GIRLの正式な日本語訳は、『ありがちな女じゃない』(山崎まどか訳、河出書房新社)だ。けどなんだかあんまりしっくりこなくて、「そんな女の子じゃない」って勝手に心のなかで呼んでる。
※2
Is it Evil Not to be Sure? の日本語訳は、私が勝手につけたやつ。
「確信が持てないってそんなに悪いことなの?」
この本の詳細についてはここによくまとまってた。