アジア映画

【オタク向け】オスカー受賞作『パラサイト』ポン・ジュノ監督の演出を徹底分析

登場人物間の社会構図

この映画には、人々を分ける明確な線があることは先述した通りです。
そしてグラデーションになっていることも。

ここで改めて登場人物間のポジションについて、監督談と個人の見解をあわせて整理していきたいと思います。

最初の時点でのポジションはこんな感じ

主人公キム一家

父ギテク:社会の波にもまれ、無計画こそ最良と信じている
母チュンスク:元砲丸投げ選手、肝が座っている、無計画でも動じない
長男ギウ:4度の受験に破れた経験があり、物事をすすめるためには計画が必要だと信じる
長女ギジョン:一番賢く、死ぬ必要がなかった。

▶実はこの家族内で一番賢い人間で、最後の悲劇を避ける可能性をもっていた存在だった。(彼女は地下に行って、誕生日会前日のことを夫婦と話し合おう=持たざるもの間での交渉をしようとしていた。)そういう人物が死んでしまう悲劇、皮肉を演出している、とのこと(参照)

お金持ちパク一家

パク社長:実家もまあまあ上流階級 (Gena考)
妻ヨンギョ:実は旦那ほどいい家の出自ではないのでは。 (Gena考)
キム運転手の体臭がマックスにならないと気が付かなかったこと、旧運転手について話していたときに漏れた汚い言葉遣い※などから。

娘ダヘ:恐らくこれまでの家庭教師にも手を出している。一番鈍いか、もしくは差別する心を持ち合わせない。
→最後まで臭いに気がつかなかったこと、みんなが避難する中で家庭教師ギウを背負って助けようとしていたことから。

息子ダソン:一番幼く、一番賢い 、生粋の持てる者
一番幼いにも関わらず真っ先に臭いに気がついたこと、解読したSOSのモールス信号を無視したこと、持たざる者の侵入を弓矢で撃退しようとしたこと、キム一家が潜む居間からガラスを隔てた庭に避難したことから。
→敏感で、子供ゆえの残酷さ=持てる者の本質? とも取れる。

▶全体的に、パク家もやや成金感が否めない。事業もゲーム会社という今っぽいものだし、中途半端な英語とかお金を見せびらかすような生活からもそんな印象を受けます。
そういう意味ではパク一家も社会の階段を登ってきたといえるのかも。

完地下の男:棚には司法系の書籍が並び、過去には台湾カステラの店を出店したこともあり、度重なる競争に敗れて今の位置にいることが分かります。そしてやや様子がおかしい。

 

複数作をつなぐ、ポン・ジュノシグネチャー

ポン・ジュノの過去作いは、知的障害があるような人々が度々登場しています。

殺人犯の濡れ衣を被されたジョンパル(「母なる証明」)、被害者女性のストーキングを疑われたグァンホ(「殺人の追憶」)そして今回の地下室の夫。
彼らは自分の口で弁明しない/できない者たちです。最弱者といってもいいかもしれません。

こういった人々が登場するというのは、ポン・ジュノ監督が社会を描く上での重要なシグネチャーだと言えそうです。

韓国映画にしては異様に少なかった罵詈雑言

持てる者と持たざる者を区別する一つは臭いでしたが、ほかにも小さな仕掛けがあると思います。それが言葉遣い。

これまでの韓国映画といえば罵詈雑言がごく気軽に使われていて、個人的には聞いていて楽しいです。シバ◎※✗・・・とか、セッキ●とか、観てるだけで韓国語のボキャブラリーが増えるぐらい。でもこの作品で出てきたのはたったの3回。

そしてそれを発したのは全員持たざる者たちでした。

1:パクの奥さんが、元運転手のしたことを聞いて思わず
2:キム運転手が別の車に割り込まれた際にとっさに口をついて出る
3:うろ覚えなんだけど、たしかギジョン(ジェシカ)かチュンスクお母さん。

1でパク社長はキム運転手がそう発するのを聞いて、ぎょっとした顔をしました。なぜならその言葉は、持たざる者たちの言葉だからです。

寄生しているのは一体誰?

長年線の向こうに置かれ区別されていたギテクの怒りは、金持ちが身近になり、差別に直面することで噴出しました。

この映画は、金持ちの家に貧乏人が職業、住居、食べ物などのあらゆる意味で寄生している図にもなっていますが、それだけではありませんでした。

監督によれば、自分たちだけでは生活が回らないお金持ちのパク一家もまた、他人の労働力にパラサイトしているともいえます。「寄生」は「共生」と紙一重だとも。   (参照)

「労働力と賃金の等価交換」の資本主義と言われればそれまでですが、映画としては別の見方をするのが賢いと思います。
ジャージャー麺のひとつの器が象徴していたように、三家族は互いに寄生しあっているんですね。

流れる水

ポン・ジュノ作品において、水は常に重要な役割を果たしているという特徴があります。

様々に形を変えた重要な「水」
止まない雨(「殺人の追憶」)、倒れたペットボトルから溢れる水(「母なる証明」)、母が息子に飲ませる漢方薬とその身体から直接排出される尿(「母なる証明」)、溢れんばかりの川の水位(「グエムル-漢江の怪物-」)

どれも不吉なもの、緊張感をもたらすものとして機能しています。

過去のインタビューでこんなふうに言っていたことも。

「雨や水については執着があると思っています。実際に、小学生のときに溺れかかったことがあって、近所にいた潜水夫のおじさんに助けられたんですね。そのとき、水に対する原始的な恐怖を刷り込まれたと思います。今でも泳げませんし」(ユリイカ2010年5月号 特集=ポン・ジュノ P52)

パラサイト内で、水は上から下へ流れます。それは社会の流れ、金の流れでもあります。
大量の水が流れ落ちる階段で、ギウが立ち止まるシーン。監督はまさにそれがこの映画の決定的なイメージだと話しています。

 

人間はそこで立ち止まることができますが水は止まることなくずっと流れ続けていきます。そしてその水は彼らが住んでいる家をのみこんでしまうような方法で下へ下へと流れていくわけです。この映画の全てのことがそこに凝縮しているふうにも思います。一方で翌朝、富裕層の妻は「昨日雨が降ったおかげで今日はパーティができるわ」とはしゃいでいるわけです。(参照)

でも一箇所だけそのルールが破られています
洪水が起こり、半地下の家がひどく浸水したあのシーンでは、トイレから黒い水が凄まじい勢いで逆流しています。
それなのにギジョンはその便器に無理やり蓋をし、さらには上に腰掛けます。
湧き上がる感情の激流、憤りを、無表情で文字通りに「蓋をする」

いかにギジョンの腹が座っているのかがわかります。

 

山水景石はなんのメタファー?

ストーリーに一貫して出続けるのが「山水景石」です。

この物語の発端でもあり、最後も実はこの石で終わっています
この石の意味ってなんだろう、というのを考察してみました。

石の大まかな流れ↓

●ミニョク(線上の中間地点にいる者)から一家に渡される。
チュンスクお母さん「食べ物が良かった」と言いながらも次のシーンでは遠くのほうで石を磨いているのが映っている。

●一家全員が雇われたあと、酔っぱらいが再びやってくる。兄ギウが石を持って出ようとするが、これにしとけと渡されたペットボトルの水に入れ替わる

●洪水が起こり浸水した家の床から石が拾い上げられる

●避難所で兄ギウの胸の上に置かれている。(まるで罪悪感を示すかのような重さ)

●ギウは、誕生日パーティーへ行く際の荷物の中に石を入れていく
それを持って殺意の地下へ。石をうっかり落としたことでバレてしまい、逆にその石で殺される結果に。

●一ヶ月後、意識を取り戻したギウの手によって石は川(奇しくも流れる水)の中に戻される。

あの石は一体なんだったのか。
▶個人的には石はなにかの象徴ではなく、川と同じように、上から下へ流れる人間の社会構図の中をあの石は下った、最後はあるべきところへ代えった、のではないかと思います。

 

結論

上記の様々な考察を踏まえると、この物語をどう捉えるべきなのか。
ポン・ジュノ監督の過去作でも、分かりやすい結論や、問題の解決といったことは起こりません。

例えば、母なる証明で息子の罪を隠蔽した母はその記憶自体を消し、殺人の追憶では連続殺人犯は普通に紛れて姿を隠します。漢江の怪物によって壊された家族は結局はメンバーが入入れ替わっただけで彼らにとっての普通の暮らしにもどっていきます。)

でも、ポン・ジュノ監督のことだから、きっと答えを用意しているはず。
パラサイトにおいては、どういう結論でピリオドが打たれているんでしょうか。

 

家族という単位の崩壊

いろいろな切り口があると思いますが、家族単位で見ると、キム一家の人数は最初は4人だったのが最後は2人になり、半減しています。
そしてギウは脳震盪を起こして少しおかしくなり、母チュンスクは咳をしているようでした。

この設定って、完地下の二人と同じだと言うこともできます。
旦那さんの方は少々様子がおかしくて、奥さんは桃アレルギーゆえに咳込んでいました。

これはキム家の二人のポジションが、最初にいた半地下より下がったことを意味しているのではないでしょうか。

ここから導ける結論としては
▶他人を蹴落としてでも社会的な上層へ上がっていこうとした者たちの目論見は、一瞬だけ上手くいくものの、結果的には家族も失い最初より低い場所に落ちることになった。何たる皮肉。

補足:チームとしての家族

韓国映画としては意外なことに、この映画では家族はチームとして描かれ、その中での葛藤や対立がありません。

その理由を監督はこのように説明しています。

この貧困層の家族の場合、本当に驚くほど一致団結している姿が描かれています。それは彼らが生活するために生きるために喧嘩している余裕すらないという状況だからかもしれません。生きていく食べていくために自分の職をみつけていくために皆、意外なほど一心不乱に動いている姿が描かれています。でも、富裕層の家族は少しニュアンスが異なるのかなと思います。一見この富裕層の家族はモダンで洗練された家族のようにも見えますが、この夫婦は垂直的な関係とも言えます。(参照)

だからこそキム家族の崩壊は、今後のさらなる地下化を予想させて怖い気持ちになりました。

ここまで作り込めるポン・ジュノ監督はやっぱり天才!

出典
TBSラジオ「荻上チキsession22」にてポン・ジュノ監督へのインタビュー
https://note.com/sora8198/n/n8b774491201f

GQインタビュー
https://www.gq.com/story/bong-joon-ho-breaks-down-parasites-wild-ending

NO キムチ、NO LIFE.
https://pandafujin.com/movie-parasite-spoiler/

冬来いよ
https://popposblog.com/parasite-review/

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