抜毛症

NHKの取材とたった一人のプライドパレード

先日、ドイツ・ベルリンで行われたプライドパレードに参加した。

 
 
 
 
 
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信じられないぐらいたくさんの人が皆思い思いの格好で参加していた。

ラメのフェイスペイントをしている人、ドラァグクイーン、レインボーフラッグを羽織っているカップル、普段着の人もいればカーニバルの衣装の人も、そしてフルチンの人まで・・・。

もちろん参加者=当事者だけでないはずで、連帯する人の数の多さに私は圧倒された。

 

大きなスピーカーを積んだトラックが何台もいて、人々の群れを先導していた。

煙草の煙、マリファナの匂い、シャンパンを瓶から直飲みしている人、ビールで水分補給している人、耳栓を付けられた小さな子供、鼻から何かを吸い込んじゃってるおじさん。

人々は開放的で、笑顔で、あらゆるものが混在する訳のわからない幸せな空間だった。

 

なぜ「LGBTQ +」パレードではなく、「プライド」と言うんだろうか。

あまりにもしっくり来すぎていて深くこのアイディアを追求してみたことはなかったけれど、あえて文章にしてみるならそれは、
それまでずっと差別され、蔑まれることもあっただろう性的マイノリティの人々が、自分たちにも尊厳があるということを示すために立ち上がったからだと想像する。

パレードは、世間から隠されてきた人々が「自分たちはここにいる」という存在を示すだけでなく、自分たちの存在を祝い、お祭りごとにして世間の注目を集め、堂々と振る舞うことで自分たちの尊厳を示す。

だから「プライド」パレードなのだと思う。

 

私はプライドや尊厳をとても大事にしているけれど、この言葉やそれからイメージされる概念はやはり外国から輸入したに過ぎない、という感じがしている。

「自分の尊厳を守る」ための行動はよっぽどの理由がないと周囲にわかってもらえなかったり、あまり言い過ぎると「自我が強い」とか「みんなそれが当然だと思って我慢してるんだから」とか(その裏にあるのは集団のために個を押し殺す前提だと思うけど)、尊厳とは真逆の台詞たちが頭の中にすぐ浮かぶ。
なぜだろうね。

ただこの尊厳というのは、私がボディポジティブの活動をする上で一番の理由だと思う。

 

私がこのボディポジティブの活動を本格的に始めて、そろそろ一年半ほどになる。

初めはこのブログにただ綴ることをしていて、次第にSNSに頭皮を含めた外見を載せるようになった。

格好いい自分に会いたくて、勇気を振り絞って表参道の美容院へ行った。

 

活動を始める直前にどん底からの人間としての再生の感覚があって、それをきっかけに一歩ずつ進んだ。自分を受け入れるための旅路であったのだと思う。 (ちなみに英語ではSelflove journeyなる表現があるんだけどまさって感じ。)

発信を続けるうちに、メディアから取材してもらう機会も増えていった。

そして迎えた初めてのテレビの取材は、6月のある日のこと。

 

インタビューを受け応えて、モデルとしての写真撮影の光景も取材してもらったあと、ベテランカメラマンさんからのその場の提案で、なんと渋谷を歩くシーンを撮影してみることになった。

私はここまで症状が進行してから、頭皮を隠さずに外を歩いたことがなかった。

でも自分をどんどん受け止めつつある今の私にとって、そのXデーが来ることは時間の問題のように思われたし、どうせなら記念すべき瞬間を記録してもらうのもいいかと腹を括った。

 

私は渋谷駅前のあのスクランブル交差点をひとりで歩いた。

後ろから人々がどんな目で私の後頭部を見ているのか、勝手に想像して足が竦みそうになった。

不登校だった中学生のとき、教室の前まで行ってはどうしてもそこから足を踏み出せなかった、あの時のことを思い出す。私の腕を取って無理やり引っ張っていった担任の顔も。

 

でも30歳になった私の足は信号が変わると同時に一歩進み、カメラの存在もあって人々の視線がより一層集まる中を歩き切った。

 

私は私の存在を恥じていない。支えたのはその一心。

あれは、私のたったひとりのプライドパレードだったのだと思う。

ゴミゴミした、クソ暑い、学生時代から何度となく歩いたあの渋谷の雑踏で、

私は自分の尊厳を示す。