抜毛症

抜毛症と希死念慮。 抜毛症の一体なにがそんなに苦しいの?

抜毛症歴約20年。
ボディポジティブモデルとしての活動は1年半ぐらい。

同じ症状の人ならわかってくれると思うんだけど、抜毛症であることって意味分かんないぐらい苦しい時がある。

どうしてこんな自分が生き続けているんだろうって、もう一周回って呆れるぐらいの気持ちになったりする。
わかってくれる?抜毛症の子たち。

今の私は完治こそしていないんだけど、そういう一番苦しいところから抜け出した感じがある。

そんな今の私だからこそ振り返ることができる、抜毛症の辛さについて今日は言語化してみようと思う。

 

髪の毛を抜いてしまうことへのショック

まず、髪の毛が「抜けた」じゃなくて、「抜いた」という事実に傷つく。

抜こうと思ってやったんじゃない。どうしても、なぜか髪に手が伸びてしまうの。

自分で自分を痛めつけてる。醜くしている。
そのことにショックを受ける。

ここにまず抜毛症であることの一番大きな傷があると思う。
何本抜いたか、どれぐらい頭皮が見えているかが重要なんじゃなくて、みんなこの事実に等しく傷ついている。

このあとに書くことは、この傷に上書きされていくような、傷口を更に広げていくような事実だと思う。

同じ症状の人たち、この先を読んでみてよかったら感想教えてほしいな。

 

周囲からの目、理解のなさ

一般的に言われている抜毛症の特徴として、抜毛行為を本人だけの空間か、もしくは生活を共にする人のみがいる空間で行うということがある。

私はこのパターンで、主に家で抜いていることが多かった。

 

リビングで勉強していたことも多くて、そういうときについつい頭に手が伸びる。
家族からは本当に気味悪がられて、母はいつも悲鳴のような声で「捨てなさい!!」と言った。
妹もマジでやばいよみたいな感じで、親切半分、気持ち悪いの半分といった感じ。

抜毛症の人で、家族や周囲の人から理解してもらえる人なんているんだろうか。
家の外でも辛いのに、家の中でも居心地が悪かった。

他のパターンとして、学校や自習室で抜いていしまう人もいる。
もしかしたら同じ空間にいる誰かに見られているかもしれない。

 

他人からみたら髪の毛を抜いていることは異様に映るのはわかっている。
分かってはいるし、やめたいんだけど、身体のコントロールが効かないの。

人から異様に見られてしまうことが辛い。

そして自分自身もそう信じてしまうことがもっと辛い。

自分は異様なんだって。

 

外見の変化

髪の毛を抜き続けていたら、もちろん外見に変化が現れる。

薄くなったり、一部まったく髪がなくなったり、場合によっては前頭つるりといってしまう場合もある。

地毛を結んだり、パウダーを塗ったり、ウィッグをかぶったりして、私たちはバレないように、日常生活をつつがなく送れるように、様々な工夫を凝らす。

 

一見気が付かれなくても、私たちの心には大きな秘密を抱えることになってしまう。

いつ誰に知られるか。もしくは、いつ誰に言わなくてはならないような状況がくるのか。

学生生活、恋愛、仕事、留学。
まだ若い私たちには今後さまざまなことを経験するだろうけれど、想像すると不安になる。

この髪で、この自信のなさで私たちは今後のハードルを超えていけるのだろうか。

こういう不安は、私たちから将来の選択肢を奪ってしまう気がする。

 

内面の変化

そういう髪に弱点を抱えた自分であり続けることで、心の形が少しずつ変わってきてしまう。

私はまったくおしゃれができなくなったの。

 

小学生までは、お洋服が大好きだった。
いつもこういう服が着たい、ああいう靴を履いてみたいっていう希望があった。
おとなになったら髪を染めて、こういうアイシャドウを使ってみたい!とか。

ちょっとマセた子供だった。

でも抜毛症がひどくなった中学生頃から、まったくそれができなくなった。
思春期的な身体の変化も手伝って、素敵だと思う服が自分にふさわしいと思えないようになった。

心のどこかでおしゃれをしたい気持ちは残っているから、ダイエットしてみたり、ファンデを塗ってみたり、ZARAを徘徊したりしてたんだけど、

でも根底では、「痩せても、メイクで顔が可愛くなっても、私髪抜いているしな」っていう思いがこびりついて消えなくて、結果としてとても中途半端なことをしていたと思う。

そういう意味で、私はとてもみっともない格好をしていて、当時の自分もそのことが分かっていた。

このファッションへの反応は人それぞれで、私とは逆に、抜毛症を隠したいがあまりファッションに過剰に走る人もいるみたい。

 

希死念慮

今日一番話したかったのは実はこれ。

抜毛を続けることで、そんな自分を責め続けることで、自分の身体をちょっとづつどうでもいいと思うようになってきてしまう。

最初は身体のコントロールが効かなかったことが、次第に自分の身体を放棄してしまう感じがある。

 

積極的に死にたいとかは思わなくても、ずっと寝てたいなとか、事故にあってもいいやとか、有名なスポーツ選手が重病になったときにどうして自分じゃないんだろうとか、いつの間にかそういうふうに思うようになった。

希死念慮って、こういうこと。

 

14歳から10年近く、毎年自分の誕生日に遺書を書いていた。
いつ不慮の事故で死んでもいいやと思っていたから、準備をしていたつもりだった。

自分でも暗いなと思うけど、私は一体どういう青春時代を過ごしてきたんだろうね?笑

みんなはどういう時代を生き延びてきたのかな。

 

希死念慮と一緒に生きることは本当にしんどい。
生きながら死んでるぐらいの感覚なのに、志望校だとか試験だとか就活だとか、積極的に選べと言われても大分無理がある。

 

実は自分の希死念慮に気がついたのは、ワンピースのロビンのエピソードを読んだときだった。

主人公のチームの麦わらの一味で一番クールで知的、ミステリアスなロビンが窮地に陥ったとき。
リーダーであるルフィーはすぐには助けに行かないのね。

ロビンの口から助けてって聞いてない、となぜかそこにこだわる。
押し問答が続いて、業を煮やしたルフィーが叫ぶ。

「生きたい」と言えェ!!!! って。

 

ロビンが自分の殻を破った返事のコマをみて、大号泣してしまったの。

そのときに自分のことに気がついた。

 

 

Twitterを見る限り、こういう希死念慮を抱えている人は多いように見える。

生きづらいよね、本当に。

でもさ、私たちが髪を抜くのはきっと生きていることを実感したいから。

苦しい現実から抜け出したいから。

心の澱の奥底にある自分の本当の望みを拾って、大切に持っていたい。

それがどんな日も、私たちを支えてくれると思うから。

だから亡霊のような希死念慮に惑わされないでいてほしい。

 

 

抜毛症の方に質問。希死念慮はある?

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