日常で感じたこと

17歳の夏

2022年7月9日 十数時間のフライトを経て強張る体を伸ばしながら降り立ったドイツの地は、乾いた風が吹いていた。

間違いなく空は7月の色をしているのに、風は10月ぐらいの肌寒さ。

湿気がまとわりつく熱帯の日本からやってきた私はそのギャップに少しだけ呆気に取られて

「寒い」と言った。

 

前にもこの寒い夏を過ごしたことがある。日本とは圧倒的に違う、乾いたヨーロッパの夏。

心細さは最後までなくならず、芋ばかりの食事、初めてできた友だち、一人だけアジア人という居心地の悪さと紙一重の違和感。強烈な異文化を味わった17歳の夏休み。

記憶がぶわっと蘇る。この妙な天気を肌が覚えているようだった。

 

石造りの築100年は経っているだろうアパートのエントランスホールに足を踏み入れたとき、陽光に温められた漆喰の独特の匂いを嗅いだ。

13年前の私は、一夏の間この匂いの中で建物の修復を手伝い、マッシュポテトとミートボールとジャムの食事を取っていた。

お通じがよくなって、ダイエットになるかもと期待したのは最初だけ。

私が冷蔵庫に入れていたナッツの袋は現地エストニアの男の子によって無惨にむしられていた。怒っていたらカリナがビスケットを分けてくれた。

 

フランス人のカリナは、私よりも背が高くて、笑顔がかわいくて、親に反抗しており、ヘビースモーカーだった。

オランダ人のサーイはひょろっとしたベジタリアンの男の子で、英語が上手だった。

 

英語もいまいちで表情豊かとも言えないメガネをかけた異色の東洋人だった私に、2人は優しかった。

 

初めての海外、しかも完全に一人で行ってしまって、殻を破るどころか殻に引きこもりたいぐらいの思いを味わうことになってしまったけれど、あれはあれで行ってよかったのだと思う。

その1年前まで不登校だったことを考えると、私のお決まりの荒療治だけど。

 

異国の文化に、完全なるマイノリティーとしてその場にいて、頑張って会話に参加したり、出来なかったりして。

私の英語はそういう苦い時間の積み重ねで磨いてきたもの。

 

TOEICの点数はそんなに出せないけれど、自分の言いたいことを言えて、相手の話もわかるようになった。わたしとしちゃあ上出来よ。

 

ところで、私は英語を頑張ればいずれは母語である日本語のように感じられるようになるものかと思っていた節がある。

日本語のように主人公の機微を追いながら物語が読めるようになり、友だちとの会話が自然になり冗談も言えちゃったりして、スーパーの見慣れない商品が身近なものになり、心細さをまったく感じることなく生活できるのだと。

 

多分、第二言語/第二文化が母語と完全に重なることはこの先もなく、いくら上達しても若干の違和感やもの寂しさを抱えながら生きていくことになる。

異国で生きるのって、私にとってはそういうこと。

 

17歳のエストニア、21歳のNY、この手の寂寥をいやというほど味わったのに、また懲りずに異国での生活を始めようとしている。

 

この若い気力の気がすむまで、今回も粘ってみようと思う。