抜毛症

【私の抜毛症記録9】抜毛症のわたしがタトゥーを入れた理由

冬に、背中に大きなタトゥーを入れた。
人が見たらぎょっとするようなサイズで。

 

どうしてタトゥーを求めたのか。
人に聞かれるとき、私の答えはばらばらだ。本当に思っていることのうち、1つか2つだけ話す。

なぜならすべてを分かってもらえるとは思わないから。

でもここには、できるだけ誠実に、内面をまとめてみようと思う。

 


きっかけ

4年前、たまたまインドネシアでトライバルタトゥーの彫師に出会った。
それまでは、タトゥーは綺麗だなと思ってはいたものの、入れる気はさらさらなかった。

その彫師からたくさんの話を聞いた。
例えば部族のトライバルタトゥーは、図柄のひとつひとつに意味があること、タトゥーを彫ることで一人前になれることなんかを。

実際に身体に入ったブラックワーク(黒のインクのラインワーク)のタトゥーは、とてもとても美しかった。

漆黒のインクは、アジア人の肌に馴染むと少し青みがる。

その発色は人それぞれで、歳を取るとともに味わいが増していく。

民族としてのタトゥーはお守りのようでもあり、所属やアイデンティティーも表すことをそこで初めてちゃんと知った。
現代の日本ではお目に掛かることのなかった種類の物語に、私は猛烈に興味を惹かれた。

 

自分もトライバルタトゥーを入れたい!と思ったけど、残念なことに私はタトゥーのある部族の出身ではない。 いくら家系をさかのぼったところでその可能性はなさそうだった。

 

“トライバル”(民族の)と言えども、現在は所属に囚われることなく誰もが好きな模様を選べるらしい。
とはいえ、私は自分に繋がりのない文化の伝統のある模様を借りたくはなかった。

文化の盗用にあたるのではないかと思ったし、今後一生共にするものだと考えると、できるだけ自分と関わりの深いものがよかった。

自分の魂としっかりつながっていられると感じられるようなデザインでないとだめだと思った。

そこで私はオリジナルなブラックワークの図柄をデザインしてくれないかと持ちかけた。
でも正直なところ、この時点ではまだ実際にタトゥーを入れるかどうかの決心はついていなかった。

唯一無二の、自分だけの図柄が欲しかっただけ。
絵として家に飾ってもいいし、実際にデザインができてから考えようと思った。

そして間もなく、デザインが上がってきた。何度か差し戻して修正してもらい、デザインが完成した。
私はそのデザインを大事に持って、4年間考えた。


入れた理由

その4年の間に考えていたのは、なぜ自分がこんなにタトゥーを入れたい、入れなければならないと思っているかということだった。(毎日哲学者のように頭を捻って考えてた、まじで。)

その間に、小学生から続いている抜毛症が酷くなり、ほかの事と重なってカウンセリングに通い出した。

 

一番最初のカウンセリングで、なんでも話してみてと言われ、一番最初に口にしたのが「タトゥーを背中に入れてみたい」ということだった。

切羽詰まった状況だったので、他にも話すべきことはたくさんあった。
でも混乱し、疲れ切った私の口から出てきたのは、これだった。

継続的にカウンセリングに通う中で、タトゥーの話を持ち出す日もあればそうではない日もあった。

カウンセラーは偏見なく聞いてくれ、心理学的知見から意見をくれることもあった。

ある日、久しぶりにタトゥーの話をしたとき、カウンセラーはこう言った。
「あなたは不安なとき、タトゥーの話をよくするよ」

私はそんな自覚は一切なかったから、びっくりして黙り込んでしまった。

自分では[タトゥー=かっこいい、力強いもの]だと思っていて、不安とは真逆の感情を抱いていたから。

 

思いつくままに話題に上げていただけなのだけれど、カウンセラーの目からは繋がりがみえたようだった。

不安な気持ちになり、それを打ち消したくて力強いタトゥーの話を出していたのかもしれないなと、今は思っている。

 

「タトゥー入れたいんだよね〜」ぐらいのことが友達に言えても、なぜ入れたいのかの理由を会話の中で一緒に考えるなんてことなくて、必然的にこの話を深くできるのはカウンセラーだけだった。

しばらくカウンセリングに通う中で考える機会が増え、なぜ自分がこんなにもタトゥーをいれたいのかの理由がある日ストンと腑に落ちた。

 

私は、自分自身に対する長年のイメージを変えたかった。
シンプルに、それだけだと思う。

抜毛というのは自傷行為で、女の人にとっては特に地獄のような苦しみがあると思う。

自分の手でわざわざ自分を醜くしている。自分ではどうしようもない力でそちらに押し流されていく感じ。
好き好んでやっているのではなく、身体がなぜかそう動いてしまう。
リストカットみたいな人に見せたくなるような自傷行為ではなくて、深く深く隠しておきたい種類のものだ。

自分は醜い。そしてその状況を自分の手で作り上げているという明確な自意識があった。

 

それに抜毛症に加え、私の身体には隠しようがない弱点がたくさんある。

生まれたときから平均より随分身体が大きくて、居心地の悪い思いを沢山した。
家族以外からは、普通の、かわいい女の子としては扱ってもらえなかった。

思春期になってからは、ニキビがたくさんできて、顔に真っ赤な跡が大量に残ってしまった。

いろんなことを気に病んで、抜毛症は年々ひどくなるばかりだった。

特に日本に生まれて、そのような一瞥してわかる身体的特徴を持つことは、たくさんの他人からの指摘(攻撃)をうけることだった。
おしゃれをしても、風が吹いたりプールに入って髪が濡れたりすれば頭皮が見えてしまう。
ニキビのあとは化粧では隠しきれない。
そして人より大きいということは、ただそれだけで目立つ。

私は外見以外でも「平均的ではない」点がいくつかあって、母や妹はそこが気になったみたい。
例えば字を綺麗に書くこと、メイクをきちんとすること、整理整頓、などなど。

 

THEマジョリティーな日本人である家族のメンバーからは、内面外見をふくめ私が「普通ではない」ことについて何度も指摘されて、そのたびにこっそり傷ついた。
全ては「良かれと思って」(母談)の行動だったらしいけど。

確かに大人になってから考えると、私が傷つかないように「普通の外見」、「普通の振る舞い」を教えようとしてくれたというのは一つの理屈として成立はする。
でもそれはありがた迷惑ってやつに他ならなかった。

でも私が彼らの求める「普通」ではないことは、私のせいではない。

「普通」(平均的という意味)ではない点を「短所」とみなして矯正するなんてやり方は、とてもストレスがかかる。
本来の姿の否定に他ならない。

もっとアメリカみたいに人と違う点を長所として捉え、もっと伸ばす考え方をしてほしかったなと今振り返って思う。

成長するにつれて悩みは深くなり、思春期から現在まで長く苦しんできた。
ストレスによって外見も変化し、悪循環が加速した。

ずっと、私はぼろぼろだった。 内側も外側も。

タトゥーは、そんな自分の身体への認識を変えてくれるものだった。
(正直なところ、そうであってほしいと願っていた。)

 


自傷行為と身体装飾

次第に、ピアスやタトゥーの痛みを伴う身体装飾は、自分自身の身体の価値を高めてくれるのではないかと考えるようになった。

力強い、美しいデザインを永遠に自分の身体に刻むことでセルフイメージが向上する。

可視化したアイデンティティは、心と身体をより強くつなげるもの。

私の魂を私の身体につなぎとめるもの。

 

肌が歳をとるにつれて、タトゥーも一緒に歳をとる。お守りのようだと思った。

でも日本ではタトゥーに対して根強い偏見がある。
でもそれ以前から私は、自分が選んだのではない理由で世間から偏見の目で見られることを経験していたし、それと比べたら自分の望んだことで世間からどう見られるかなんてずっとマシなことに思えた。

だから今更構わない。周りになんと言われようと。

自分と愛する人にとって美しくて強い自分でありたい。
生き延びるために。自信を持って自分の人生を歩むために。

「私は、この私が入っている体で美しくなりたい。」
アメリカ人の作家ロクサーヌ・ゲイが言ったこの言葉に私はこれ以上ないほど共感している。

 

次の投稿では実際に入れたときの話を書きたいな。
そのときの痛みとその後の心理的な変化について。

前より自分の人生はずっとよくなった。