アジア映画

【オタク向け】オスカー受賞作『パラサイト』ポン・ジュノ監督の演出を徹底分析

ポン・ジュノ監督の過去作を全て鑑賞したGenaによる、パラサイト徹底分析!
なんと8000字近くになってしました!もしお時間があればお付き合いください。

 

©ビターズ・エンド

ポン・ジュノ監督は緻密な映画を作ることでとっても有名です。
彼の作品は、カメラに映らないものにさえ、意味がぎっちり詰め込まれています。

パラサイトでもストーリーラインのディテール、画面に映るもの、人物設定、街の構図、カメラワーク、光の使い方など・・・ 過去の作品以上に盛り込まれていました。

ストーリーだけでも面白いですが、これは映画。
細かい演出や設定は、監督からオーディエンスへのモールス信号のようなものでもあると思います。

それをきちんと受信できたら、「猛烈に面白い!!!!」という気持ちが湧いてきます。
ポン・ジュノファンとして、分析欲がもりもり湧いてきたので、まとめてみました。

この投稿では、「パラサイト」における演出を分析するとともに、過去作との比較によるポン・ジュノワールドや監督のシグネチャーについても書いていきたいと思います。

※注意※
この投稿は、映画の【分析】です。
・思いっきりネタバレも含む
・そもそも観ていないと伝わりづらい
と思うので、すでに鑑賞された方のみおすすめします。
お断り:投稿内のセリフ、英語からの和訳は大意です。

「#線」というキーワード

言葉での「線」

キム社長が「あの運転手はいい。一線を超えて来そうでぎりぎり超えてこないのがいい」と表現したそれ。
「度を越すな」という表現は、人間同士の適切な距離感を示していいると同時に、この映画内では、「持てるもの」と「持たざるもの」の一線を画す線として機能しています。

「38度線より南のことなら任せてくれ」
ここでさらりと出てきた38度線という言葉。韓国人の会話として一般的かどうかはわかりませんが、キーワードとして充分に機能しています。

視覚化した線

言葉だけではなく、視覚的にも線が登場しています。

①元家政婦が奥様を起こすシーン。 (序盤)
このシーンはガラスの内側から撮られていて、二人の間にはガラスの継ぎ目があります。

初めに家政婦は奥様に声をかけるが、奥様はピクリともしない。すると家政婦は手を伸ばし、耳元で叩きます。その音でびくっと起きる奥さん。

実は家政婦の手は、その時ガラスの継ぎ目を超えた”向こう側”にありました

これは家政婦のこの行為が「一線を超えた行動」であったことと、
線を超えないと音/声が届かないという隠喩でもあると見受けられます。

②父ギテクの面接シーン
パク社長の会社へ面接を受けにいくと、ガラス張りの会議室で会議中だった。ガラス越しに目があい、会釈する二人。

実はこのガラスにも継ぎ目があり、ギテクは線の右側、パク社長は左側に立っていました。
そしてこの線越しにも、会話は交されません。

▶この映画内でのルール1:人々の間には「持てるもの」と「持たざるもの」を画す一線が可視化されており、この線を超えてのコミュニケーションは起こり得ない。

※画像で確認したい方はこちらのブログをご参照ください
https://popposblog.com/parasite-review/

 

一線を超えてくるもの

上記で線について話しましたが、この線を超えてくるものが実は作品内に存在します。
それは臭いです。

匂いについてポン・ジュノ監督は次のように話しています。

線を引いても、壁を作っても超えてくるものは臭いだ。
自分たちでやりたくない運転や家事といった仕事をさせるために、はした金で貧しい人々を雇っている。近くに呼び寄せておきながらも、不安になって一線は超えるなと何度も念を押すのはおかしな話です。(監督談)

 

隠していても、線を引いていても臭いはその壁を超えてくる。
作品内では、パク家の人々が持たざるキム家の人々の存在を認識するのもこの匂いが手がかりになっています。

臭いというのは画面に直接写すことができないために、映画では描きづらいものでもあります。
それを鍵にしているのは監督の見事な手腕です。

『臭いで追うパラサイト』

「臭い」はストーリーを進める上で重要な役割をになっています。

順番を以下にざっと書き出すと↓

・ダソンが気がつく”異臭”
臭いが初めて描かれるのは、キム一家が全員雇われ、父ギテクが家の中で初めてダソンと会うシーン。ダソンは彼の匂いをかぎ、家政婦の母チュンスクの匂いをわざわざ嗅ぎにいき、二人は同じ匂いだとみんなの前で断言する。それからジェシカ先生もこの匂いがするよ、と。

・キム家の家族会議
ダソンに指摘されてしまったため、キム家の食卓では対策が話し合われる。
洗剤と柔軟剤を変えようか、いや毎回洗濯するのは面倒だ、など。ギジョンは問題は半地下の臭いだという。切り干し大根のような、地下鉄のような、と比喩されるのは、つまりは貧困の臭い。便所コオロギや吊るされた靴下から想像させる臭いのことである。

・強制的な自覚
パク一家がキャンプにでかけ、キム一家が好き放題していたあの夜、テーブルの下に隠れていたキム3人は、パク社長が運転手の臭いについて妻に愚痴っているのを耳にする。
父ギテクを気遣うように、ちらりと目を向ける娘。自分たちの臭いについて強制的に、差別的な意味合いを自覚させられる瞬間。

・鈍い奥さんにも気が付かれる
なんとかパク家からの脱出に成功し、水浸しの半地下から体育館に避難した次の朝、ギテクはダソンの誕生日会の買い出しに連れて行かれる。
その帰りの車中でとうとう奥さんが臭いに気がつく。そしてそのことにギテクも気がつく。
(半地下でほぼ全身が水に浸かり、そのまま体育館で寝て、寄付された服に着替えても、体臭は恐らく相当強くなっていたと推定できる)
このあたりから少しづつギテクの表情が固まり、怒りが顔に溜まっていく。

・パーティーの終盤
元家政婦の夫が暴れるがチュンスクに返り討ちにされる。ギテクがパク社長に向けて投げた鍵は、元家政婦夫の下敷きに。それを取り出そうと男をひっくり返したパク社長は思わず鼻をつまむ。(描かれてはいないが、地下に4年もずっと籠もっていた男からは相当な地下臭がしたはず)
それを見たギテクの堪忍袋の尾が切れる。
※実際に鼻をつまむ動作が引き金になるように監督は指示を出していた。(参照)

▶穏やかだったギテクが、匂いというきっかけによって一歩ずつ階段を登っていく。そして娘が蓋をして飲み込んだ怒り(※下記参照)を、父は放出してしまいました。

 

監督も、「映画の最後30%は、臭いについてのプレッシャーを感じたギテクの怒りがマグマのように煮立ち、最終的に爆発につながることを描いています。」と述べています。
「そして誕生日パーティーで爆発するこの瞬間こそが、この映画内で唯一持てるものと持たざるものの”線”が交差する瞬間なのです。」(参照)

独特な作り方のジャージャー麺

持てるものと持たざるもの、二者の間にはグラデーションがあり、この映画内には三家族が登場します。
それを象徴しているのが「ジャージャー麺」(通称パチャグリ) 。
旅行先から突然帰ることになったパク一家がパチャグリをリクエストし、チュンスクが大慌てで作るそれはよく見ると
   ・インスタント麺2種類
   ・韓牛
っという不思議な材料になっています。

後付けだったそうですが、これは異種の3家族をイメージさせます。
安い2種類の麺と高級韓牛が一つの器に入っているのは、あの家そのものだと言えそうです。

私はそれを食べた奥様が、麺を少しだけ残していたのが妙に記憶に残っています。