例のウィルスのせいで映画館が閉まってる。
ただでさえ大儲かりはしていない業界なのに、こんな長期間休館したらどうなってしまうんだろ。
休館に突入するまえの武蔵野館で、『レ・ミゼラブル』を観た。
全く同じタイトルのミュージカルがあるので、大変紛らわしいし、検索してもミュージカルのほうが出てきちゃう。
(邦題に適当なサブタイトルをつけたほうがよかったんじゃないの?)
配給側からSNSでのシェア用に提供された公式のハッシュタグは
#レミゼじゃないレミゼ
微妙だね。語彙力の足りない学生っぽい。
とても骨太な映画だということはわかったのだけれど、あの物語の背景を知らないと深く理解できないと思った。
なので自分のためにも、社会的な背景などを整理して、感想を書いてみます。
あらすじ
パリ郊外に位置するモンフェルメイユの警察署。地方出身のステファンが犯罪防止班に新しく加わることとなった。知的で自制心のあるステファンは、未成年に対して粗暴な言動をとる気性の荒いクリス、警官である自分の力を信じて疑わないグワダとともにパトロールを開始する。そんな中、ステファンたちは複数のグループが緊張関係にあることを察知するが、イッサという名の少年が引き起こした些細な出来事から、事態は取り返しのつかない大きな騒動へと発展してしまう。 映画.com
冒頭、ステファンが新しく配属された警察署に来る。
直接的で下品すぎる冗談にも取れない罵詈雑言が飛び交う。普通の良識ある社会人なら、ふざけてでも言わなそうな言葉たち。
これだけでもう異様な場所なのがわかる。そして恐ろしいことに、ここは警察なのだ。
そして3人乗り込んだ車で出発した”パトロール”で白人/警察官視点でこの地域が見渡せる。
その視点では、誰も彼もが移民で、テロリスト予備軍で、犯罪者かその予備軍で、貧困層だ。
彼らに対して、ステファン以外の二人は、かなり威圧的に接する。ステファンはそれに反発する。
パトロールで十分胸糞悪い思いをしたステファンだったけど、これは序章に過ぎない。
ライオンを盗んだ子供を探すあたりから、彼の”人生最悪の日”が幕を開ける。
この映画のポイントになっていると思うものを下記に整理して書いてみます。
ユゴーの「レ・ミゼラブル」との関係
この映画の舞台になったモンフェルメイユは、ビクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」で知られる土地。
そして現在では犯罪多発地区でもある。また監督の出身地。
当然タイトルからもわかるように、ユゴーの「レ・ミゼラブル」を踏襲しつつ、現代に置き換え、現代の社会問題に目を向けている。
問題そのものは同じではなけれど、160年経った今も苦しんでいる民衆がいる状況は同じ。
最後に引用されていたユゴーの言葉は
世の中には悪い草も悪い人間もいない。ただ育てるものが悪いだけなんだ
というもの。
イッサはあの後どうしたのだろうか、とずっと考えている。
この映画のきっかけ
監督がこの映画を撮ろうと思ったきっかけは2005年のパリ暴動であったらしい。
10月27日夜にパリの東に位置するセーヌ=サン=ドニ県クリシー=ス=ボワにおいて、強盗事件を捜査していた警官が北アフリカ出身の若者3人を追跡したところ、逃げ込んだ変電所において若者2人が感電死し、1人が重傷を負った。この事件をきっかけに、同夜、数十人の若者が消防や警察に投石したり、車に放火するなどして暴動へと拡大した。警官隊の撃った催涙弾がモスクに転がり込んだことも火に油を注ぎ、大騒動となった。(ウィキペディア )
監督は2人の若者の死に衝撃を受け、1年間自分の住む街を撮影することを決意。(公式サイト)
背景にある社会問題
この暴動とこの映画の背景にあるのは、これらの「バンリュー」と呼ばれる郊外の地域は
貧困層の住む団地が多く、スラム化していた。失業、差別、将来への絶望など積もり積もった不満が一気に噴出したものとみられている。これらの地域では犯罪が多発しており、機動隊の導入など強硬な治安対策がとられていたが、これによって若者たちとの緊張も高まっていた。(ウィキペディア)
移民の多い地区では、失業率は全国平均よりも高く、40%に達する地区もあった。とか。
監督はインタビューの中で、これらの地域のことをこんな風に説明している。
「貧しく、社会の弱者が寄り集まる場所では、自然に和解が生まれるほうが不自然で、常にある種のパワーバランスが生まれます。フランス人という国籍を持っていても、民族的にはばらばら。モンフェルメイユには27くらいの民族が住んでいて、低所得者向け団地に、パキスタンの階、アラブの階…など分かれて何とか共生し、できるだけ状況が暴走しないように抑えている状況です。そういった民族間の対立を調整するような役割を果たすのがこの映画に出てくる自称“市長”のような人間で、警察では手に負えないような住民同士の問題を示談にし、見掛けだけの平和を守ろうとしているのです」
弱者たちの貧困と暴力…「パラサイト」と競った仏映画「レ・ミゼラブル」監督「現実を見せたい」
また移民系の若者たちが抱く怒りについても、個人の経験談からこんな風に語っている。
「植民地主義をとっていたフランスの歴史の中で、祖先は奴隷のような扱いを受けていました。僕の祖父は第1次世界大戦でフランスのために戦い、父は戦後のフランスの経済を立て直し、インフラを支えるために低賃金で働きました。しかし、政府は彼らのそういった恩を知らず、我々を郊外のゲットーのような場所に封じ込めています。僕自身アフリカのルーツを持っていますが、フランス人として生まれ育っています。しかし、高校を卒業した頃から、(白人)社会が僕らを見る目が変わって、自分がフランス人ではないかもしれないという懐疑を抱くのです。心が動揺し、フラストレーションが溜まります。怒りも出てきます」
弱者たちの貧困と暴力…「パラサイト」と競った仏映画「レ・ミゼラブル」監督「現実を見せたい」
個人の体験談として聞くと、生々しく、現実感が増す。
監督バックグラウンドに深く根ざした物語でもあることがよく分かる。
複雑な対立関係
真実を外部に伝えるために撮られた映画であるとはいえ、かなり内部の視点から撮られている。
ので、はるか遠く日本に住んでいる私からしたら、多めの登場人物たちの対立関係がよく理解しきれなかった。
リサーチ+想像力で一応まとめてみるならこんな感じかな?
治安対策を担う警察官
高圧的、暴力的、手段を選ばない。
子どもたち
スラム化した団地に住み、隅々を知り尽くしている。
怒りが鬱屈している感じ。いざというときのチームワークが抜群。 右:キーマンとなるデジタルキッド。(監督のお子さん)
宗教指導者・ケバブ店オーナー・元ギャングのトップ
子どもたちへのイスラームの布教活動に余念がない。
誰より怖そうな人で、誰も逆らえない。
(自称)市長
仕事熱心には見えず、人望に薄い印象。
民族間の対立を調整するような役割を果たす。警察では手に負えないような住民同士の問題を示談にし、見掛けだけの平和を守ろうとする。
(上記監督インタビューより)
ギャング
バーなどを表向き経営している。警察官の一部と協力関係にある。
ロマ人のサーカス団
小柄でムキムキでタトゥーもりもり集団。
あまり話が通じていなかった。
複雑な映画だった。
そしてすべてが説明されていないことが、リアルで、素晴らしい。
現実を切り取って、画面のこちらまでぶん投げられたような。
最近、私が観たり読んだりしている中で、欧米が過去の植民地主義や奴隷貿易のツケに直面しているのを感じてる。
労働力として取り入れた彼らが、同じ人間として平等に扱われるように、世界はきしみながら少しずつ動いている。
映画や小説には、フィクションでもそういう真実の欠片が散りばめられていて、
たくさん見聞きすることで、その小さな欠片がパズルのようにはまり始めている。
これから先、世界はどう変わっていくんだろうか。