抜毛症

抜毛症をFBでカミングアウトした話

抜毛症歴約20年。

自分の髪を抜いていることなんて死んでも誰にも知られたくなかった私が、3年ほど前に天使(のように優しいパートナー)に初めて打ち明け、そこから親しい友人たちへは言えるようになった。

さらに時と場合が許せば親しい人に自分から打ち明けられるようになり、聞かれれば自分のことを話せるようになり、美容院に行けるようになり、外出先で頭皮が多少見えても大慌てしなくなるようになった。

 

小さなカミングアウトを重ね、しっかり受け止めててもらいながら、時々はかすり傷を負いながら、私は少しずつ変化してきた。
小さなステップでの開示は、ずいぶん私を強くしたと思う。

受け止めてくれた人たちの温かい胸を借りて、時々休憩しながらも一歩ずつ前に進んできた。

 

カミングアウトのハードルとして一番高かったのは、最初に天使にカミングアウトしたときのこと。
今回のBFでのカミングアウトはそれと同じぐらい高いハードルだった。

なぜわざわざカミングアウトしようと思ったのか

「カミングアウトしてすごいですね!私にはなかなか難しいです」ということを言われることが時々ある。
でも私はカミングアウトすること、しないことはどちらも同じぐらいの価値だと思っている。

だってその内容が何であれずっと秘めてきたことはとてもセンシティブでプライベートなこと。

自分が自分のまま過ごせる時間があるのであれば。自分と、自分のまわりの大切な人だけ知っていれば。
全世間にむけて自分を開示しなくてもいい。

自分が自分を尊重する選択ができること。それが一番大事だと思ってるの。

ということで私はずっとリアルな知人500人ぐらいとつながっているFBではずっと抜毛症の話をしていなかった。
その500人にはそれほど親しくない相手も、昔の会社の同僚も含まれている。

なぜそんな場所でわざわざカミングアウトしようと思ったのか。

それはね、「自分の意思で伝えない」を選択しているのではなく、抜毛症のことは「やっぱりどう転んでも恥ずかしいことだから言うな」と押しこめられている気がしたから。

個人の意思で「言わない」のではなく、社会的に「言えない」という状況だと思ったから。

もしかしたら私のこのことに関する私の認知は少しばかり歪んているのかもしれない。

少なくとも私にとっての最初の環境、家庭内で感じていたことはそうだった。私の知っていた世界はそれだけだった。

 

私は反骨心にあふれる女の子なので、社会的に「言えない」という状況は、顔のない世間に言外に黙らされているような状況は、打ち破らなくっちゃと思ったの。

誰よりも自分のために。

それが今回のカミングアウトの真髄だった。

 

全文

読みたい人がいるかどうかわからないんだけど、ここにカミングアウトの全文を載せます。
なんだかなかなかリアルな文章になっちゃった!笑

 

あと一ヶ月ほどで自分の20代が終わる。
振り返ってみると不登校やらなんやらを経験した10代よりもずっと苦しい思いをした10年間になってしまった。
学生であったときよりも社会に出てから生きづらさを感じることが多くて、その原因を探ったり、荒療治を選択してしまってさらに傷ついたり、自分を責めたり、誰かを責めたりして、苦しい苦しい循環から出られなかった。よく生き抜いたなとその一点だけで自分を褒めてあげたい。

最近どうしてるって聞いてくれる友達にもそろそろ説明がつかなくなってきたから、これを機に心を少しだけ開いて話そうと思う。
ずっとずっと隠してきたことがあるの。恥ずかしすぎて誰に言おうと思ったこともなかったし、隠すのに必死で、誰かに知られるぐらいなら死んだほうがマシだと本気で思っていた。
自分の髪を抜いているってこと。

抜毛症という名前があるのを知ったのは小学生の時。世界仰天ニュースかなにかで抜毛症の外国の子が取り上げられていたのを見たからだった。
でもずっと自分は抜毛症なんていう病気じゃないって思おうとしてた。いつか自然に治る癖だって。
11歳のときに始まって、実はまだ続いている。19年ぐらい。こんなに長い付き合いになるなんて思ってもみなかった。

学生時代もストレスはたくさん感じていたんだけど、社会人になってからのほうがぐっとしんどくなった。華の20代どころか、人生の最低ラインを何度もこするような苦い思いをたくさんして、その度に髪の毛が失くなった。

禿げたことも大ショックではあるんだけど、それ以上に自分の手で自分を醜くしているという事実に一番傷ついた。
部屋で一人、何年にも渡って髪の毛を抜き続けることで、自分の自己認識まで歪んでしまったんだと思う。
私は痛みに強い。健康な体に傷んだ魂が入っている。自分の身体は傷つけても構わない。こんなふうに自分のことを思うようになっていった。希死念慮がいつも自分の隣に座っていた。

25ぐらいのときがかなり限界で、本当にもうそろそろ溺れそうだった。なんとかごまかしながら生きる日々の中で天使に出会った。一緒にいると楽しくて、なによりもほっとして。鉄コン筋クリートのシロみたいに「あんしんあんしん」って呟きたくなるぐらいの日々を過ごしていたら、本当に不思議なことになにか自分の中で再生するような気持ちになった。
付き合い始めて半年ぐらいかな。生まれて始めて誰かに話そうと思えた。カミングアウトをしたら天使は「初めて会ったときから気がついていたよ」と言った。

私は安心できる場所で休息をとって、物心ついてから記憶にないぐらい気が休まった。
・カウンセリングにも通い、家族との関係を見直したこと。自分の人間関係における得手不得手を発見したこと。
・抜毛症は自分の意志の問題ではなく、病気だときちんと認識できたこと。
・ボディポジティブやフェミニズムのメッセージを受け取って、自分の体もまた大事なんだと思えるようになったこと
そういう過程を経て、ある日ふと
自分のことを美しいと思えるようになりたいと思うようになった。
紛れもなく自分の手で傷つけてきたこの身体で。

気概はあるものの、20年近く隠してきた恥はまだまだ深く残っていて、私にはお守りが必要だった。
それで自分が一番強くて美しいと思ったもの、私の心と身体をつないでくれるようなパワフルなタトゥーを背中に入れた。

それから一念発起して、恐る恐るインスタで抜毛症のボディポジティブモデルを名乗り始めた。
そこからちょっとずつ活動を続けて、被写体として撮影してもらったり、抜毛症の経験をブログに綴ったり、インタビューを受けたりしている。
最近ではコラムの連載もさせてもらえるようになった。

前向きなばかりではないのよ、正直。
自分の勇敢さと強さを誇れる日もあれば、
この日本でどでかいタトゥーを入れ、かっぱのような頭皮を晒し、あまつさえ世間に発信してるなんてとんでもないって思う日もある。(少なくても家族はそう思ってるのを知ってるし。)
残りの毛を剃って、ウィッグにして、タトゥーを隠して、黙って普通のフリをして暮らすこともできる。

でも諦められない。自分の人生だから。
私はわたしのままで生きたい。この身体で美しくなりたい。髪の毛を抜くことでしかバランスを取れない繊細な自分を許してあげたい。
自分にしかできない仕事がしたいし、それでこの世界に居場所がほしい。

私は人間に関する記憶力はまあまあある方だと思うから、みんなとどこで会ったかとかよく覚えてる。
みんなは私にとっての世間で、当時の私が最も隠したかった相手でもある。
そこで公表する訳は、私はもう自分のことを恥じたくないから。苦しかったことを全部20代に置いて前に進みたいと思っているから。
ここまで読んでくれてありがとう!
最近の私はこんなことを考えて、こんな活動をしているのでした!

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実は現在、抜毛症の人に寄り添った弱酸性の固形シャンプーを作ったのでクラファンしています。
こちらもよかったら読んでいただけたら嬉しいです。

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