日常で感じたこと

家族との距離

黄昏時に信号待ちをしていて、ぼんやりとした赤い小さな明かりが目に入る。

それがなにか目を凝らす前に、「あの明かりを知っている」と思う。

 

どこで見たんだっけ。何度も何度も、みたことがあるような気がするんだけど。

 

目が少し慣れてきて、そこが一軒家の一階の窓辺で、あの明かりは誰かが外で吸っているタバコだと分かる。

それで自分の記憶も少しだけはっきりしてくる。
いつも家の外で吸っている人がいて、ちょうどこれぐらいの時間に見かけていた。

あたりが暗いから、まずは赤い灯りしか見えなくて、無意識に見続けるとようやくその背後に人の姿が浮かび上がって、なんだタバコかぁってちょっとほっとする。

学習せず、なぜか毎回気がつくまでにちょっと時間がかかる。 その過程まで思い出した。

 

それで、どこでその光景を見ていたんだっけ、と続けて思い出そうとして、かなりしばらく考えてからそれが実家の近所だったことまでたどり着いた。
学校帰りによく見かけていたのだった。

 

思い出すまでにかかった時間の長さは、そのまま私と実家との距離だ。

 

 

幸せだった10歳ぐらいまでと、その後の長くて苦しい時間。

私の中での家族のイメージはそこを堺にがらりと違っている。

 

長い間苦しんでいたけれど、その原因を家族関係に探そうとは思ったことはなかった。

でも家を出て、パートナーに巡り合って、複雑に絡み合った自分の問題を棚卸ししていくうちに、
私は育った家のことをこれまでとは違った角度で見るようになった。

 

私の苦しみは、この家に由来するのではないか、と考えるのは怖かった。

それまで疑ったことのなかったものを疑い、味方だと盲信していた人が一番乗り越えていかなくてはならない人物かもしれないと思うことが恐ろしいと思った。

 

私の見ないふりは、ある日終わりを迎えた。

 

私の結婚式を一ヶ月後に控えた時期に、最後の記念で家族旅行にいった。

その温泉で、母と妹から「髪が本当にヤバい。禿げてる。今すぐやめたほうがいい」(大意)と言われた。

 

私は普段から家族であっても髪のことを指摘されるのがものすごく怖かった。
そしてそこは温泉で、声は届いていなかったかもしれないけど他の人もいて、そして私は無防備な素っ裸だった。

パニックを起こして逃げ出した。ホテルの外の茂みに隠れてずっと泣いていて、呼吸ができなかった。
こんな風に身体が動いたのは初めてだった。

 

今すぐに帰りたかったけど、今は夜中で、ここはど田舎で、私には免許がなく、大事な荷物を実家に残してきていた。

 

なんとか朝まで耐えて、一緒に帰らなければいけなかった。
(自分のことをなんて無力なんだとひしひしと思ったのを覚えている。)

その間も涙はずっと止まらず、イライラした妹が小さな暴言を吐き、私は反射的に暴力をふるった。
その時は”正当防衛”だと思ったけど、今から考えると私はDVの加害者だよな。

しばらく食事が喉を通らなかった。

 

家族関係は最悪な状態のまま結婚式の日を迎え、私は親への手紙を読んだ。
できるだけいいところだけ思い出して書くのは、そのときの私にとっては苦行だった。

そんなことがあり、実家の家族を避けていたんだけれど、カウンセリングなどに通う中でやはり一度ちゃんと家族と向き合ったほうがいいな、と考えるようになった。

 

それにどういうつもりか知らないけど、父はしょっちゅう帰ってこいと連絡をよこすし。

年末にパートナーと一緒に帰省することにして、私はずっと言いたかったことをメモして、それを握りしめて行った。
どんなことを話したのかをここに書くとかなり長くなるし、ブログにかける以上のプライベートなことが含まれるので割愛するね。

 

タトゥーまで見せて、私はずっとこう思っていて、あなた達といるとこういうところが苦しい、というところまで話した。

 

父は案外しっかり聞いて彼なりに解釈してくれたようだった。
母は意味不明って顔をしていて、妹の反応はろくに覚えていない。

それが年末年始の話。

 

妹が妊娠しこと、性別、里帰り、予定日、私はすべて祖母からの電話で知った。

実家の彼らは揃いに揃って子供好きだから、孫・子の誕生を心待ちにしているのは間違いない。

 

ややこしい長女の代わりにかわいい赤ちゃんがやってくる、自分の場所がreplacementされた気持ち。

 

最近、「親ガチャ」という言葉が浸透しているみたいだけど、うちの場合は親が「子ガチャ」に外れたようなものだな、と思う。両親と妹のことを気の毒に思う。

 

やはり彼らはかなりまともな部類の人たちだし、それに愛情や責任感のあるちゃんとした親だった。
私がそこにうまく適応できなかっただけ。それだけの話。

 

幸せそうな家族の姿を見ながら、私は一歩ずつ実家から遠ざかる。