日常で感じたこと

沖縄に行ったことがない私が読んだ『裸足で逃げる』上間陽子著

実は、沖縄に行ったことがない。

私は普段から3万円あったら海外旅行にいこうとする人なので、国内なのに3万円では到底足りない沖縄は、私の旅先の選択肢にならなかったからだ。

 

沖縄になんの接点も持たなかった私は、21のとき、石垣出身の女の子と友達になった。

 

行動も見た目も大人びていたその子と仲良くなりたくて、よく話しかけた。

彼女はなぜか私にとても親切にしてくれ、その夏の間に二人で飲みに行くようになった。

 

たくさんのことを話した。

どんなことを話していたのか、細かいことは今はもうあまり覚えていないんだけど、ひとつ、彼女の地元の話を聞いて「日本じゃないみたいだ」と強く思ったことだけはよく覚えている。

 

福岡の子と話しても、大阪や北海道の子と話してもこんなふうには思ったことはない。

沖縄は、それぐらい違った。

綺麗な海、温かい気候、のんびりした人々を連想される沖縄とは別の、オキナワがあるみたいだった。

 

 

それから何年か経ったころ、インターネットで上間陽子さんの連載に出会った。

webちくま 上間陽子

その地に生きる人の言葉は重く胸に刺さって、私はウェブページを閉じられなくなった。

普段、わりと重要なニュースでも、ネットで見聞きしたものの記憶はすぐに薄れてしまうのに、そこで読んだことの余韻は何日もあとをひいた。

 

多分、彼女の言葉が、彼女たちの物語がすごく生々しく生きているのを感じたからだと思う。

 

もっと知りたくてたまらなくなって、彼女の著書を探した。

裸足で逃げる

オキナワに生きる女の子たちのインタビュー集だ。

冒頭で上間さんは、彼女たちの話を聞くうちに、そこに自分の友人をみた。 と言う。

彼女たちは語る。

方言を持たないわたしにとって、沖縄の方言はとても柔らかく、耳に優しく感じる。

 

読み進めながら、彼女たちの言葉は、頭の中で自分の友人の声で再生されるようになった。

優しい声が語るのは、優しくないオキナワの状況。

 

あまりに理不尽な状況を押し付けられて、その中で生きる女の子たち。

理不尽なことにちっとも我慢が効かない私は、読んでいて何度も憤慨した。

ひどい、ひどすぎる。避妊しないくせに中絶費用を出さない、結婚したのに家にちっともお金をいれない、彼女を殴りつづける。

なんなんだ。同じ人間なのか。責任感のかけらもない行動をとる男たち。

つけを払わせられるのはいつも女の子だ。

 

自分の権利とかそういうものに敏感な私なら
弁護士でもなんでも立てて、絶対に必要な対価を払わせるべき!!
と思うのだが、彼女たちはあまりそうしない。

 

その代わり、自分でなんとかしようとする。
その切替はあまりに素早く、自然で、これまでもこういう決断を当たり前にしてきたのかとはっとする。

私がとっさに思いつくような選択肢はあまり現実的ではないんだろう。

彼女たちは現実をよく知っていて、自分の痛みを口にして正義に訴えるより、自分で行動する。

 

私はそんな彼女たちをしなやかだと感じ、また友人のことを思い出す。

 

彼女たちの話を聞く上間さんは、決して世間の常識側から話さない。

お母さんのように、お姉さんのように、絶対的な味方になって寄り添っている。

 

どれぐらい気力と体力のいることなんだろう。

助けても助けても、次々と困っている女の子が現れる。

すごく必要とされている存在だと思う。

けれども彼女だけが全部をする必要はない。

どうやったら状況が変わるのだろう。

どうやったら多くの困っている女の子が少しでも困らなくなるのだろう。

自分になにかできないか、考え続けている。

いつかオキナワに行ってみたいと思う。 ガイドブックではなく、この本を鞄の中に入れて。

沖縄タイムス 上間陽子氏のインタビュー
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/87110