日常で感じたこと

フェミニズムなんて

これまで多くの女性がなんとなーく#フェミニズム という言葉を避けているように、私も倦厭していた。

大事なことなんだろうなと思う反面、そこからはめちゃめちゃやっかいな香りがしていたから。

私生活での悩みは尽きなかったから、そんなフェミニズムなんかに割く気力がなかったということもある

 

だから無意識に、ずっと避けていた。

実は自分と親和性があることはかなり認識していたけど、あえて関わらないようにしていた。

 

にも関わらず、不思議なことに友人たちは私のことをフェミニストだと思っていたらしい。

ある日、親友がNYから送ってきた手紙の中には、「fem・n・ist」というでっかいステッカーが同封されていた。
(私にぴったりだと思って、と彼女は言った。)

フェミニズムの存在は知っていたし、手を伸ばせばその知識に届く距離にいることはわかってはいたけれど。

私がその言葉をほとんど口にすることはなかった。

私は自分の生きづらさをよくよく感じていたし、”こじらせ”気味だったおかげで周囲にとってもやっかいな人間だということを十分認識していたから、フェミニズムなんてものに両足を突っ込んだ日には、おそらくもっと面倒な人になるだろうと直感していたんだと思う。

でも完璧に個人の問題だと思っていた自分の生きづらさって、もしかして100%私の責任じゃないのかもしれない、とある日ふと、そういう考え方を受信した。

発信源のほうをみたら、そこにあったのはフェミニズム。

とうとう出てきやがったな。ある種、堪忍した気持ちをもって恐る恐る近づく。

これまでずっと実は受信し続けていた小さなフェミニズムの手がかりは、私を一歩ずつこちらに導いていたのかもしれない。

私の心うちをいつも代弁してくれているように感じている山内マリコさんは、日本を代表するフェミニストの田嶋陽子さんの大のサポーターだし、


愛という名の支配 (新潮文庫)

 

インスピレーションを求めて思わず買った『自分で「始めた」女たち 』の中に登場する
魅力的な女性たちは、もっとも尊敬する人の一人はロクサーヌ・ゲイと口々に言った。


自分で「始めた」女たち 「好き」を仕事にするための最良のアドバイス&インスピレーション

極めつけはジェーン・スーさんと中野信子さんは対談の本の中で。
「長年自分のせいだと思っていた”欠点”が実は自分のせいではないこともある。そういうものは社会のバグだ」と。


女に生まれてモヤってる!

悩みを一度棚卸してみたら、不要な悩みを捨てられるかもしれない。

そう思って恐る恐るその手の本を読み始めた。

 

様々な女性たちの物語は、川を下るように私をいろいろな場所へ連れて行った。

私にも身に覚えがあるような嫌な出来事、読みながら思わず息を飲んでしまうぐらいひどい出来事、それによって引き裂かれた痛み、何十年も続く苦しみ。

そして私はロクサーヌ・ゲイの過去に出会った。
極めて個人的な彼女の物語は、私の物語にも不思議なぐらいぴたりと重なった。

それは例えばこんな点で。

・幸福な、守られていた子供時代。
・突然やってきたあまりに乱暴な終わり
・子供時代の自由さを失ったこと
・なんでも相手の言うことを聞いてしまったこと。自分が無価値だと思わせられ、思ってしまったこと。
・自分を守るため、安心感を得るために、食べ始めたこと。(自分を傷つけ始めたこと)
・いい子でいようとして、せめて学業はと頑張って優秀な成績だったこと
・混乱の中で過ごした10~20代 とても優秀だったのに、精神的にバラバラだったせいで様々な方向に進んで、キャリアに支障があったこと
・オンライン上では自由を感じ、恋人もそこで探すようになったこと
・自分の身体の大きさを、常に社会から責められているように感じ、怒っていること
そして一部では世間の認める基準になることを切望しているということ。

食わず嫌いしていたものの先に、自分の分身かのようなストーリーが待っていた。

今貪るように読み始めている。

作家、フェミニスト、レイプサバイバーのロクサーヌ・ゲイの魂の物語たち
ロクサーヌ・ゲイの著作3冊について、抜毛症でタトゥーだらけでフェミニストな私が読んだ個人的な感想。