日常で感じたこと

フェミニズムの物語たち、私のおかあさんとおばあちゃんも助けてくれる?

ものすごく久しぶりにブログを書く。
ずっと書きたかったけど、なかなか書けなかったところへ、気になるニュースが飛び込んできて、それで蘇った記憶をここに記録しておきたいと思った。

東京オリンピック・パラリンピックの大会組織委員会の森会長の言葉が大ニュースになっている。

「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」

「組織委にも女性はいるが、みんなわきまえている」

ふつーにやばい。どうかしてる。
前からこの人の偉そうで女性軽視の感じは気になっていたけど、今回のでとうとうヤバさが露呈したな、と思った。

でも私はこの感じに既視感があった。
こういうときに立ち上がるモヤっとする(と、「ぶっ殺す」の中間ぐらいの)感情にも馴染みがあった。
なぜならそれは家の中で何度も目にしてきた光景だったから。

 

つい最近も。
絶賛胃ろう中で、認知症で、ほとんど寝たきりの祖父が、一瞬正気を取り戻したときに発したのは
「ワシに恥をかかせるな」  だった。

いつもありがとうとかじゃないの?恥をかかせるってなんなの??
どうしてそんな言葉だけが出てくるの???

そんな言葉をぶつけられて、祖母や母、伯母は慌てていたように見えた。
その反応も、私には理解できなかった。

私は自分が生きづらさを感じる原因は、この祖父、祖父が躾けた母にあると思っている節がある。
だから悩みを棚卸しするためにフェミニズムを読み漁っている。

ここ半年ぐらいでも、女性の人生を語った物語を何冊か読んだ。
読んでいる間中、彼女たちが隣にいるかのように身近に感じた。

すべての箇所で、彼女が自分だと思ったわけではない。
私は物語の中に母を見つけ、祖母を見つけた。
私たちは血だけでなく、社会的にも脈々とつながっていて、息苦しさもきっと受け継いでいるのだと思う。

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』

この主人公は私と10歳しか変わらないことになるけれど、韓国の時代の流れは日本とは1世代ぐらい古い印象がある。
だから私にとってこの物語は母のものだった。キム・ジヨン氏のお母さんの世代は、私の祖母の世代になるだろう。

この話は、結婚し一児の母となったキム・ジヨン氏が、ある日を境におかしな言動をするようになったことから始まる。キム・ジヨン氏とさかのぼってその母の人生まで辿るのだけど、寄り添っているような姿勢でありながら描かれ方は淡々としている。

それもそのはずで、実はこの物語はそれはキム・ジヨン氏の精神科医が聞き取ったことをまとめている体だということが最後にわかるようになっている。

 

私はキム・ジヨン氏がこうなったのは、母やずっとその前の世代から続いてきた女性への抑圧や搾取、社会の歪みのせいではないかと思う。
しかしこの物語に耳を傾けた医者は、別の頭で院内の人事について思いを巡らせている。
女性の部下が妊娠をきっかけに辞めてしまう、今度雇うなら結婚の予定のない人にしないと、って。。。

ちゃんと人の話を真摯に聞いてた!?と愕然としてしまった。
彼らにとっては患者は患者、人事は人事。なんにも感じちゃいないのだ。これっぽっちも。

この絶望感を持って物語は終わってしまう。私は、女性を囲っている円が完全に閉じてしまったような奇妙なショックを受けた。
一旦はその円が開きかけていた気がしていただけに、ずんと胸にくる。
彼女の物語のあとでも世界は変わらない。無力感。

 

翻訳者の斎藤真理子さんたちの対談では深く踏み込んで、いろいろな角度から物語を紐解いている。

『82年生まれ、キム・ジヨン』の謎を解く――語り手は誰なのか?
『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著 斎藤真理子訳)をめぐる対談

 

 

『愛という名の支配』

著者の田嶋陽子さんは1941年のお生まれで、世代的に言ったら私の祖母の世代だ。
しかし彼女の当時にしては先進的な考え方は、私には母の時代のもののように感じた。

平等ではない慣習が常識化してしまった社会と、そこで育ってしまった自分の中にある古い価値観からの解放。
先陣を切って模索し、そしてそれを分け惜しみなく発信してくれている。その田島さんの姿はまさにヒーローのようで、めちゃめちゃ格好がいいと思った。

同時にどうして母にはこういった考えが1ミリもないのだろうかとも思った。
(1ミリぐらいはあるのかな?もしそうだったらいいな。)

 

母は父のことを「あなた様」と呼んでいた。私も小さいころは「とうちゃま」と呼ぶように躾けられた。
自分の記憶には残っていないんだけど。

母も、自分の父のことをそう呼んだ。

家父長制のもとで完全に躾けられた母と、知性ととびきりのユーモアを隠し持ちながらも祖父に従う祖母。

二人を見て、私は腹立たしく、気の毒に思っている。

 

今からでも、彼女たちを助けることはできるのだろうか。
当たり前のものとして受け入れている彼女たちのこと。

過去と他人は変えられない。そんなことはわかっているって。

でも伝統的な「家族」からようやく抜け出しつつある私は、自分がやってきた方向を時々振り返ってぞっとする。

遅いなんてことはない、あそこから抜け出したほうがいいって。

 

あの暴言のあと、母と伯母は、祖父の隣に何時間も座って、なにかぶつぶつ聞き取れないことを呟いている祖父にじっと耳を傾けていた。

子供をみるような温かい、愛おしさと古い尊敬がこもったような眼差しで。

それはただ単に親への敬いなのだろうか。

 

平成生まれの私には、わからない。
もっと人間として成熟できたら別の見え方があるのかもしれない。

でも少なくとも2021年時点の私には、回れ右をしたくなる地獄のような光景に見えた。