抜毛症 日常で感じたこと

抜毛症・脱毛症の映画 ヤングアダルト/この世界の片隅に

こんなテーマでかかれたブログもそうなかろうと思う。

でも想像してみて。

自分になにか大きなコンプレックスがあったとして、
何気なく観はじめた映画・ドラマ・テレビで、そのコンプレックスが取り沙汰されていたら、あなたならどんな反応をする?

結構ぎょっとすると思う。肩身が狭い思いをするかもしれない。
あらすじには全く触れられていないような小さな「演出」として自分のコンプレックスが使われることは、私にとってはパンチ一発程度のダメージがある。

①当事者への警告として、②髪に症状がある人の日常がどんなものかを理解したい方のために

これまでGenaがうっかり観て、ひやりとした映画を2本ご紹介します。

 

ヤングアダルト

アメリカの若い女性の日常を描いた映画が好き。

私がクマにキレた理由、SEX AND THE CITY、プラダを着た悪魔、キューティーブロンド、

トラベリング・パンツ・・・

ティーンエージャーのころからTSUTAYAのこの辺のコーナーを片っ端から攻めてきた私が、

「ヤング≒アダルト」にたどり着くのは時間の問題だった。

ヤングアダルト、つまり大人未満の若い大人。

これって私の物語かもとちょっと興味を惹かれて、うっかり天使と見始めたのが運の尽きだった。

 

主演のシャーリーズ・セロンといえば、言わずも知れた大女優。
「アトミック・ブロンド」や「マッド・マックス」などハリウッドの大作でも主演を努めている。
アクションもできる、ブロンドの強そうな白人女優といったら彼女しかいない!ぐらいのイメージ。

そんな彼女が、こんな銃も出てこないような日常のドラマも演じるんだ~と新鮮に思った。

あらすじ:

メイビス・ゲイリーは自称作家のゴーストライター。執筆中のヤングアダルト(少女向け)シリーズは人気が落ちて終了間近。そんな彼女のもとに、高校時代の元恋人バディとその妻ベスに赤ちゃんが生まれたとの知らせが。数年前に離婚して以来、自由気ままに暮らすも何だかうまくいかない毎日に嫌気がさしたメイビスは、バディとヨリを戻しかつての輝きを取り戻そうとするが……。                                                                                                Amazonより抜粋

なんとなく察せられるように、シャーリーズの演じるメイビスは今がまさに人生の落ち目!ってぐらいなにもかもがうまくいっておらず、ぱっとしない日常を送っている。

持ち物や部屋の様子からも、彼女が少しなげやりになっているのがわかる。

彼女はずっとこんなふうにうだつの上がらない人生を送ってきたわけではなく、実は高校時代まではいわゆる勝ち組だった。

学校の人気者で、ブロンドで、モテる。
学校生活で何もかも手にしたように見える地方のティーンエージャーにとって、そこが人生のピークになるのはアメリカ映画では実はよくある話。

メイビスもあまり例外ではなく、更にたちの悪いことにその過去の栄光から抜け出せず、かなり痛めのオトナに仕上がっている。

彼女はいつまでも自分が誰にとっても魅力的であると信じてやまず、そのマインドで元カレのベイビーシャワーに突撃するのだから観ていてとてもハラハラしちゃった。

結果、惨敗。
実家に顔を出した彼女は、うなじのあたりから髪を抜く。

どきりとした。今、この人、なにした?
綺麗な金髪が抜けている。そしてそれは一本ではなく、母親の視点からメイビスがその行為を継続してきたことがわかる。

今、これを隣で観ている天使はなにを思っているのだろう。
カミングアウトしたことはなかったけれど、薄々気づいているのではないか。
このシーンを観たことで、私がしていることにも気がついてしまうんじゃないか。
気が気じゃなかった。

ちなみに、このシャーリーズ・セロンという俳優は身体を張った役作りでもかなり有名。
役のために何十キロも増量した、歯を抜いたというエピソードを聞いたことがある。
そんな彼女なら、本当に自分の毛を抜いたんじゃないかと私は思う。

そうだとしたら、メイビスのこのどうにもならない自分への苛立ちが、見に覚えのある実感として立ち上がる感じがする。

ただの演出としての奇病ではなく。

ヤングアダルトというキーワードで自分のことかも?と思った映画だったけれど、想像を遥かに超えて私に近い映画だった。

 

この映画を観たあと、そのときすでに一緒に住み始めていた天使にカミングアウトした。
自分から打ち明けることができた初めての相手だった。

 

この世界の片隅に

漫画が原作のアニメーション映画。
主人公のすずちゃんの半生が描かれる。第二次世界大戦前後の広島。

これだけでピンとくるでしょう。

戦争の悲惨さを描くというよりは、戦争という大局の中でも家族と生きる、市井の人々のささやかで丁寧な生活についての話だった。

 

その時代当時の楽しみ、遊び、食べ物、すずちゃんの豊かな想像が広がる。

食料が不足する中でも工夫を凝らした料理や小さな笑いをみることができて、少しだけ救いを感じる。

でも徴兵されたり引っ越したりで、戦争に飲み込まれた誰かが生活から消えていく自然な描写がチクリとした痛みを与える。
時代の空気を、一個人の人生に立脚して眺めるとこういう感じなのかとしみじみ思った。

 

少女だったすずちゃんはやがてお嫁にいくような年齢になり、嫁いでいく。
嫁ぎ先の義理の両親は悪い人ではないけれど、一時帰省していた義理の姉は、自分の苛立ちをぶつけるようにすずちゃんにきつく当たる。

慣れない家でひたすら重労働の家事をして、それが当たり前のように家の人からは扱われる。

実家でやってきた内容とは一緒かもしれないけど、それを義理の家族から、同然のように求められるのは、気持ち上の辛さが段違いだよね。

すずちゃんがお暇をもらって実家に帰ったとき、妹がとっても言いづらそうに切り出す。
「すずちゃん、ここ禿げとうよ、、、」

義理の家族の元で頑張っていたすずちゃんは円形脱毛症になっていたのだった。

どっきりとした。私は急に現実に戻る。
あの遠慮が混じった言い方。よく知っている気がした。

私は2021年の東京の家のソファに座って、画面に映る1940年代の広島の二次元のアニメを見ていたはずなのに。

あのセリフだけがすべての時空をこえて、私に向けられているように感じた。
怖かった。冷や汗がでた。

映画は後半に怒涛の展開を迎えるので、私は一旦あのセリフのことはどこかにしまった。

でもあの映画を思い出すとき、まっさきに出てくるのはどんなに悲惨なシーンや美しいシーンもなく、あのセリフなのだった。