30年近く生きてきて、ジンクス、というか自分の中で信じるようになった法則がいくつかある。
1、ややめんどくさい母親を持つ女子は、妊娠すると男児を引き当てる
→なぜか女児は生まれない。不思議。このルールは私は適用外で必ず女が生まれる気がして、理不尽な気持ち。
1、ある種のさっぱりした昔気質な人ほどあっさりとこの世を去っていく。
未練もなく、あっという間に成仏してしまう。
このことを私に確信に至らせた出来事について、記憶しておきたい。
天使と暮らし始めてから、街に顔見知りがぐっと増えた。
それまでも私は同じ場所に住んでいたのに、好奇心旺盛で人見知りしない人と一緒にあちこちの店に顔を出すうちに馴染みの顔が増えた。
ただ便利に通勤するために選んだ街が、ぐっと自分の街になった感じがあり、街の小さな変化に気がつくようになった。
古道具屋のおっちゃんは、私たちのお気に入りの人物だった。
うちの古いアパートから歩いて5分もかからないような場所に趣味のいい店を構えていた。
何を買うでもなく私たちはしょっちゅう店に寄った。
店にはアンティークの戸棚や食器が溢れており、奥の小部屋は売る気のなさそうな商品がさらに詰め込まれていた。
おっちゃんはでっかっくて(多分180cm代後半はあった)、ギョロ目で、低くていい声でゆっくり話した。
客商売なのに愛想はあんまりなくて、でも妙に人懐っこさもあり、変に気を使っていない感じの良さがとても心地よかった。おっちゃんはいつも一拍置くような、マイペースな話し方をした。
私と天使はよく平日の日中に顔を出したので、働き者のおっちゃんには無職を疑われていた。
「おたく、仕事は?」毎回聞かれた。
私の高校時代の恩師に外見や雰囲気がよく似ていたので、私たちの間では恩師のあだ名で呼んでいた。
ある日天使がそのことをおっちゃんの前でバラすと、「どうも、恩師です」って妙なノリを披露してくれて、私たちは爆笑した。
その店でカフェのようなハイテーブルとハイチェアを買い、やっぱり使いこなせなくて、数ヶ月して売りに戻って、たまたま入荷していた赤茶色の素敵なテーブルと椅子のセットを買った。
おっちゃんはこちらがたまげるほど値引いてくれた。
真夏のくそ暑い中、蚊に襲われながら何度か家具を運んだ。
「またお願いします」って言われて、私たちはのこのこと出かけていき、今度は素敵なスタンドライトを買った。
おっちゃんから買ったものはそれが最後だった。
もともとおっちゃんが一人で経営してたのが(奥さんも見かけたことがあるけど)、ある日を堺にアルバイトが出入りするようになった。
アンティークで雑多ででも上品な雰囲気のあるあの店に不釣り合いな、大量生産のグレーのパーカーを着た姿勢の悪いぱっとしない中年男性。
「せがれです」って聞いたときにはひっくり返るほど驚いた。
その時期からおっちゃんの姿の代わりにせがれを目にすることが増え、私たちもちょうど探しているものもなくて、足が店から遠のいた。
秋頃、おっちゃんと道ですれ違った。そのとき私はなぜかめちゃくちゃに急いでいて、「あ!こんにちは!」って挨拶だけして、目があったのに止まりもせずに行ってしまった。
多分大した用じゃなかったのに。
2022年になって、スーパーの帰りにあの古道具屋に顔を出そうといったのは天使だった。
店はかなり片付けられていて、かつてのようなみっちり詰まった充実感は少なくなっていた。
その「せがれ」と、さらに冴えない男性が働いていて、おっちゃんはもういなかった。
1月の終わりにガンで亡くなってしまっていた。
呆然として、写真を見せられてもなんだか到底信じられなかった。
あんなに元気そうだったのに。
若くはなかったけれど、朗々とした壮年という感じで、病気や老いや死とはまったく結びつかなかった。
私は泣きたくなって、誰の話も耳に入らなかった。
おっちゃんがもういない。声も顔も立ち姿もこんなにありありと想像できるのに。
こんなに嘆くなら、なぜ最後に会ったときに少し立ち止まるぐらいしなかったんだろう。
天使がせがれと少し話して、最後にせがれが「今日は買わないんですか笑」ってあまりに空気の読めないことを言った。おっちゃんを返してほしいと思った。
家に帰って、天使と少しだけ泣いた。
おっちゃんがもういないことに。あの店がおっちゃんの店ではなくなったことに。
そのあと、1週間ぐらいは毎日思い出して悲しい気持ちになった。
身内でもないのにこんなに悲しい。私たちはおっちゃんのことがとても好きだった。
おっちゃんの名前を亡くなってから知った。
惜しい人を亡くした、と思う。
愛想がないのに妙に人好きのするところがあって、
喜怒哀楽がはっきりしてて
まどろっこしい気遣いよりも割とストレートな物言いをする人で
嫌いなものは嫌いだと一貫したところがあって
おおらかで堂々とした人間で
手の届く範囲の自分の人生に満足しているような感じで。
私の偏見や押しつけ、私が同種だと感じる他の人の面影が混じっていることは認める。
こういう人を亡くしたとき、私たちが惜しんでいるのは一時代の終わり。
素敵な古い時代の名残が消えていくような。
鉄コン筋クリートの古いヤクザ「ネズミ」の死もこの種類のものだと思う。
彼らは潔く、きっとあっという間に成仏してしまう。
こういう人、私はほかには何人か思い当たる。
長生きしてほしいけど、あさりと逝ってしまう想像ができる。
彼らに最期のお別れを言えないことがなにより怖い。
残されるほうもこんなに寂しい。