母は決して満たされない女だった。
理想が高く、いつも不満足で、私たち家族はいつも母のその不満足の矛先を向けられていた。
自分以外の人間のことが許せないのだと思う。
そしておそらく彼女自身のことも。
彼女は常に要求が高かった。
子どもたちには、
従順で、お行儀よく、正義感があり、勉強ができて、お手伝いを欠かさず、自分の父(私にとっての祖父)を大切にすることを強く求めた。
昔は母のことが大好きだったので、私は一生懸命にその期待にこたえた。
学校での成績は優秀だったし、お手伝いもたくさんした。
夏休みの間は毎朝母がパートから帰ってくるまでに家を掃除したし、年末の大掃除も持ち場を受け持って頑張った。
でも母はなにもかもが気に入らなかった。
頑張った制作物を学校から持ち帰っても「もっとこうしたほうがよかった」。
なにかをプレゼントしても気に入らないのでやんわりと返品するように言ってくる。
わざわざ行ったお使いも、これじゃなかったのに、と。
些細なことだけど小さな否定がずっと続いていた。
(父は私より更に高い要求にさらされていたと思う。でもこれは私が語るべきことではないので書かないけど。)
長女だった私は母に気に入られようと頑張った。
結果、母は家族内で面倒臭がられ、彼女のお使いを完璧にこなせるのは私だけになった。
いつの日か「母の愛は条件付き」 と思うようになった。
母も満足するような大学に受かった後、次はミス・ユニバースだね!と言われたことは忘れない。
到底無理な目標を押し付けられて、期待にこたえ続けることに疲れていることにようやく気がついた。
母からの否定は他にもある。
「そんな服で行くの?絶対似合わない」
「あなたには赤いランドセルが似合うよ」
「スカートが短すぎる!太い脚が丸出し」「だめだめだめ!」
こういうセリフをキャーという顔で、とんでもないって顔で、力いっぱいぶつけてくる。
ノリだけは大阪のおばちゃんみたいに、自分の思想・価値観をものすごい勢いで投げてくる。
本当はピンクのランドセルが欲しかった。
だから今でも、否定的なことが頭に浮かぶとき、それは母の声をしている。
冷静に振り返ると、母との間には否定とコントロール、自分より上に来るなという無意識の牽制があったのではないか。
母は、肌や髪のことを私が下手にでて相談したときにだけ、親身になってくれた。
普段は「抜いた髪を汚いからそのへんに散らかすな」「抜いてもいいから捨てろ」としか言わないのに。
実家を出たくて出たくて、必死に準備を進めているときには
「あなたたちのためにこの家を買ったのに」 と言っていた。
そして私がパートナーを初めて実家に連れて行った日には「あなただけ幸せになって」
と、これまでの母の顔で、普通の声でつぶやいた。
自分がそんな母に似てきている。
そんな恐怖に囚われて泣き出したい夜に。