人生につまずいてどん底を経験した中学時代について話そうと思う。
不登校とそのときから始まった孤独について。
冷静に考えて、人生で経験する初めての挫折らしい挫折が「不登校」っていうのは、重たすぎる経験だった。
不登校って社会的にはどういうことかというと、与えられた集団にうまく属することができず、追い出されるか自ら出てくるかしたってことだと思う。
人生の早い内にこの種の挫折を経験することの影響ってたぶんものすごく大きい。
中高年の引きこもりが社会問題になっているけど、こういう挫折体験をしている人が多そうだと思った。
不登校中は、その頃の私の言葉を借りると、「一生分の苦労の濃縮ジュース」を飲んでいる気分だったらしい。
ほんと、あれで一生分が済めばよかったのにねと、少しだけ大人になった私としては、あの頃の自分を労ってあげたい。
中学生になった
よく覚えてないけど、小学校6年生や中学校1年生にかけても抜毛はゆるく続いてたんだと思う。
勉強や部活は厳しい学校だったけど、総合すると環境はそんなに悪くなかった。
校則は厳しいものの生徒たちは個性豊かで、1クラス内にいろんなグループがいた。
それぞれ規模は小さくて、どこかのグループと合わなくなっても別のグループにはなんとなく入ることができる。そんな感じ。
そこでもいろいろあったけど、結構楽しかった。
そんな中学を途中で転校することになった。
転校先は、とっても自由に見えた。校則もゆるくて、だっさい田舎の中学生感は微塵もない感じ。
でもそれは見かけの印象だということがあとでわかった。
転校してみると、そこは恐ろしく閉鎖的で、まるでホラー漫画に出てくる村社会のような体質の中学校だった。
全校生徒がどこかの部活に所属するのが必須で、そのくせその部活というのもかなり限られた種類しかなかった。
そのためかクラス内のグループも常日頃から部活ごとに固まっていて、文化祭までもが部活単位の出し物だった。
(今でもこれにはなんでだよ!と憤りを感じる。クラス単位でいいじゃん)
もはや学校側の陰謀としか思えない。それか配慮と想像力の欠如。マイノリティや個性を許さない風潮、「体育会系しか認めません!」って学校が言っているようなものだ。
言い換えれば、いじめや仲間はずれが出来やすい環境が出来上がっていた。
先生も意味も説明できない校則を無条件で押し付けてくるような頭がからっぽなやつが多かった。
なにより自分の保身が大事。そんな感じで。(卒業後は体育教師と保護者間での不倫が問題になっていた。)
なにか部活に入らないと孤立する。瞬時にそう悟り、適当な運動部にはいった。
馴染もうと頑張ったけど、4ヶ月ほどで部活もそこの人間関係も大嫌いになった。
小学校からの人間関係はもう出来上がっていて、異様なほどチヤホヤされる子と、その取り巻き、それ以下というヒエラルキーがこれまでの歴史の中で階級は完璧に固定化されていた。
私にとってはチヤホヤされている子がそれほど面白くも思えなかったし、逆に変人扱いされて薄暗い小規模な部活に自ら進んで入っている子たちのことも理解できなかった。
両極端な選択肢しかなくて、そのどちらもいやだと言った。
宙ぶらりんな状態でいたとき、それまで一番親しくしていた友だちと対立してしまい、自分には誰も味方がいないことに気がついた。
あ、人間関係も面白いぐらい多数決なんだ、と気がついた。
多数決っていうか、ゼロサムゲームって感じ。
教室では一人で、今さらどこのグループにも入れなかった。
別のグループに入りたきゃ別の部活に入り直さないといけない。
そんな雰囲気があった。
友だちは欲しかったけど、そのためだけに行動するのはいやだった。
そしたら、もうどこにも私の居場所はなくなった。
しばらくは無理して一人でいたけれど、こんなところに居たら、心がおかしくなってしまう。
そう思って、私は学校に通うのをやめた。
能動的に選択したように聞こえるかもしれないけど、ほかに選択肢が思いつかなかった。
あのときどうしたらよかったんだろう。
大学生のころまではよくそう思い返していたけど。
学校に行かなくなったのが中学2年生の半ばで、そこから卒業するまで1年以上、教室に足を踏み入れることはなかった。
卒業式にも出ていない。
中学生が学校にいかないとなると他に行き場所もなく、ほとんど引きこもりのような状態でいた。
本を読んで、人のブログを読み漁り、DVDで映画を見ていた。
そういうところからインスパイアされたり知恵を得ては、なんとか勇気を出そうとしてみたり、自分を正当化しようとしてみたり。
ずっと何かを考えて、答えを探していたように思う。
見かねた家族にカウンセリングにつれていかれて、箱庭療法をやってみることになった。
ただ学校に行っていないというだけでケアの対象に見られたことに猛烈に腹がたった。
私はどこもおかしくなんてない!
とてもムカついたので、できるだけ頭がおかしくみえるように、箱庭の中に様々な墓をこしらえた。
カウンセリングは1回で終わった。
反抗心も抱えていた一方で、やり場のない怒りとか不安とかどこにも所属していない宙ぶらりん感が私の中に満ちていた。
どうしようもない気持ち と なんとかしないとという焦り。
高校受験とか、どうしよう。今どき中卒なんて、しかもすぐ働くなんて想像もできない。
自力では、家の中からでは、どうしようもできなくて、私は何本でも髪を抜いた。
ものすごい量を、一日も欠かすことなく。
机の上には毎日山ができた。家族もうすうす気が付き始めていた。
人から羨ましがられるほどきれいなストレートだった自分の毛質を、好きではなくなった。
カールしている毛と違って、禿げたところがモロに目立つから。
私は抜毛をよりによって頭頂から始めてしまった。
そこが一番気持ちよくて、チクリとした痛みを感じられた。その痛みは、痛みじゃなかった。
なんでそんな目立つところから手を付けてしまったんだろう。
外に出なくてはいけないときには、必死に分け目を変えて、整髪剤を使ってなでつけた。
頭皮を隠すのと同じぐらい困ったのは、次に生えてくる毛のことだった。
私にあれだけ痛めつけられているのに、太くて、元気がよくて、ピンピン突っ立っていた。これが地味に目立つ。
アホ毛がたくさん生えているのを想像してみてほしい。そんな感じだった。
幼馴染の、ちょっと天然なお母さんは久しぶりに会った私に、
「そのちょんちょんっていう髪型が流行ってるの?」 と聞いてきた。
もちろん大真面目に。
私は思わず笑っちゃって、その時は全然傷つかなかった。